- 人と人の組み合わせでも必ずしも「私たち」が生まれるわけではなく、リーダーとフォロワーの役割が自然に分かれることが多い。
- インテンショナル・バインディングは主体感よりも、行動と結果の予測可能な関係によって起きる現象で、AIと人の協力でも同じような効果が見られた。
- 共同主体の有無より、予測しやすさが時間の感じ方を左右する可能性が示され、新たな視点が提案された。
誰かと一緒に作業をしているとき、不思議な感覚が生まれることがあります。
たとえば、重い家具を二人で持ち上げるとき。
ダンスやスポーツで息が合ったとき。
あるいは楽器のセッションの中で、互いの動きが自然に噛み合ったとき。
その瞬間、人はしばしばこう感じます。
「自分がやった」というより
「二人でやった」
つまり、行動の主体が「私」ではなく「私たち」になるような感覚です。
心理学では、この感覚を
主体感(sense of agency)
と呼びます。
さらに、複数の人が関わる場合には
共同主体(we-agency)
という概念も議論されてきました。
しかし、ここで重要な疑問が生まれます。
人は本当に「私たち」という主体を感じているのでしょうか。
それとも、その感覚は別の仕組みから生まれているのでしょうか。
この問いを調べるため、北海道大学の研究チームは、人と人、人とコンピュータが協力して行動する実験を行いました。
その結果、興味深い事実が明らかになりました。
私たちが「一緒に行動している」と感じる感覚は、
必ずしも「社会的な共同主体」から生まれているわけではない可能性があるのです。
行動の時間が縮む現象
この研究の中心にあるのは、
インテンショナル・バインディング(intentional binding)
という現象です。
これは、人が自分の行動とその結果を知覚するとき、
時間の間隔が実際より短く感じられる
という心理現象です。
たとえば
・ボタンを押す
・0.5秒後に音が鳴る
という出来事があったとします。
実際には0.5秒の間隔がありますが、人はしばしばそれを
「もっと短い時間だった」
と感じます。
つまり
行動
→結果
この2つが時間的に「引き寄せられる」ように感じられるのです。
この現象は長い間、
「自分が行動の原因だと感じているときに強くなる」
と考えられてきました。
そのため、インテンショナル・バインディングは
主体感を測定する指標
として多くの研究で使われてきました。
もし二人で行動したときにもこの現象が起きるなら、
それは「共同主体」が存在する証拠になるのではないか。
そう考えられてきたのです。
人と人、人とAIで協力させる実験
研究チームは、この仮説を検証するために実験を行いました。
参加者は北海道大学の学生46人で、23組のペアに分かれました。
実験では、参加者は机の上にある
仮想ボタン
を押す課題を行います。
ただし、ボタンを押す方法には3種類ありました。
① 個人条件
自分一人でカーソルを動かしてボタンを押す
② 人間パートナー条件
二人でカーソルを共有してボタンを押す
③ コンピュータ条件
コンピュータとカーソルを共有してボタンを押す
カーソルは特殊な装置で操作され、手の動きと連動します。
さらにこの装置は、相手の動きによって
物理的な力
が伝わるようになっています。
つまり二人が違う方向に動かすと、
互いに引っ張られる感覚が生まれるのです。
このため、ボタンを押すには
二人が同じ方向に動く必要
があります。
ボタンが押されると、300ms、500ms、700msのどれかの遅れで音が鳴ります。
参加者は
「ボタンを押してから音が鳴るまで何ミリ秒だったか」
を毎回推定します。
この推定値が短くなるほど、
インテンショナル・バインディングが強いと解釈されます。
予想外の結果
従来の理論では、次の結果が予想されていました。
個人
→主体感が強い
人間との協力
→共同主体が生まれる
コンピュータとの協力
→主体感が弱い
つまり、時間の圧縮は
個人
↓
人間パートナー
↓
コンピュータ
の順に弱くなると考えられていました。
ところが、結果は違いました。
3つの条件で平均的な時間推定はほぼ同じだったのです。
つまり
人と行動しても
AIと行動しても
一人で行動しても
時間の感じ方は大きく変わりませんでした。
これは、従来の「共同主体」理論と矛盾する結果です。
実はペアの中で役割が分かれていた
しかし研究者たちは、別の分析で重要な発見をしました。
人間同士のペアでは、ほとんどの場合
リーダーとフォロワー
の役割が自然に生まれていたのです。
ある人が先に動き、
もう一人がそれに合わせる。
このパターンが、多くのペアで繰り返し見られました。
さらに重要なのはここです。
リーダーになりやすい人ほど
・自分がボタンを押した感覚が強い
・時間の圧縮が強い
という傾向がありました。
逆にフォロワー側では
・主体感が弱い
・時間の圧縮も弱い
という傾向が見られました。
つまり
共同主体が生まれているのではなく、
実際には主体が偏っていた
可能性があるのです。
コンピュータとの協力では何が起きたのか
一方で、人とコンピュータのペアでは状況が違いました。
コンピュータは
・常に一定の動きをする
・決まったボタンを押しに行く
という単純なルールで動いていました。
そのため、実験では
ほぼ常にコンピュータが主導する形
になりました。
このとき参加者の多くは
「自分は主体ではない」
と感じていました。
しかし興味深いことに、
時間の圧縮は個人条件とほとんど変わりませんでした。
つまり
主体感は弱い
でも時間の知覚は変わらない
という状態です。
何が時間の圧縮を生むのか
この結果から研究者たちは、重要な結論を導きました。
インテンショナル・バインディングは
主体感そのものではなく
予測可能な感覚運動の関係
によって生まれる可能性が高いということです。
つまり
行動
→結果
この関係が予測しやすければ、
人は時間を短く感じます。
そこに
・意図
・社会関係
・共同主体
が必ずしも必要なわけではないのです。
「私たち」という主体は存在するのか
この研究は、共同主体の議論に新しい視点を与えます。
従来の考え方では
二人で行動する
→共同主体が生まれる
と考えられていました。
しかし今回の結果は、別の可能性を示します。
実際には
・リーダー
・フォロワー
という非対称な関係が生まれ、
主体感はその分布によって変わる。
つまり
「私たち」という主体が生まれているのではなく、
主体が分配されている
のかもしれません。
AIと人間の協力を考える上での意味
この研究は、AIとの協力を考える上でも重要です。
もしインテンショナル・バインディングが主体感の指標だとすれば、
AIが人間らしい主体を持っているかどうかを測れるかもしれません。
しかし今回の結果は、
そう単純ではないことを示しました。
AIが
・予測可能な動き
・安定した感覚運動の関係
を持っていれば、
主体感がなくても
時間の圧縮は起こります。
つまり
この現象だけでは
「人間らしい主体」を測ることはできない
ということです。
それでもこの研究が示したこと
それでも、この研究は重要な手がかりを与えています。
インテンショナル・バインディングは
「私たち」という主体の証拠ではないかもしれません。
しかし
誰がどれだけ行動を支配しているか
という関係を測る手段にはなる可能性があります。
人と人が協力するとき、
そこには目に見えない
・予測
・調整
・力関係
が存在しています。
そしてその構造は、
私たちが感じる「主体」の形を静かに変えているのかもしれません。
私たちは本当に「一緒に行動している」のでしょうか。
それとも、そこには常に見えない主導権が存在しているのでしょうか。
この研究は、その問いを改めて私たちに投げかけています。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2026.1768740)

