- 自由意志を疑うと、介入するかどうかの判断がしづらくなることがある。
- ベネズエラの大学生を対象に3つの実験を行い、レバーを引く・溺れる子を助ける行動が減り、橋から落とす判断にはあまり影響がなかった。
- 道徳判断には「動くか動かないか」という軸があり、自由意志の信念がそれに影響する可能性が示唆された。
自由意志を疑うと、人は「悪く」なるのか
それとも「動かなく」なるのか
私たちはふだん、自分の行動を「自分で選んでいる」と感じながら生きています。
何を言うか、何をするか、助けるか、見て見ぬふりをするか。
そうした選択の背後には、「私は自分の意志で決めている」という感覚があります。
しかしもし、その前提が揺らいだとしたら、どうなるのでしょうか。
もし「人の行動はすべて脳の物理的な仕組みによって決まっている」と考えるようになったとき、人はより冷酷になるのでしょうか。
それとも、より計算高く、功利的になるのでしょうか。
あるいは、別の変化が起こるのでしょうか。
アラブ首長国連邦のアジュマン大学、ベネズエラのスリア大学、アラブ首長国連邦大学の研究チームは、この問いに対して、静かで興味深い実験的検討を行いました。
焦点になったのは、「自由意志を信じなくなると、人の道徳判断はどう変わるのか」という問題です。
自由意志をめぐる問いは、哲学だけのものではなくなっている
自由意志が本当に存在するのかどうかは、長いあいだ哲学の中心的テーマでした。
しかし近年、心理学では別の角度からこの問題が扱われています。
「自由意志が本当にあるかどうか」よりも、
「人が自由意志を信じているかどうか」が、行動にどんな影響を与えるのか。
これまでの研究では、自由意志への信念が弱まると、
・ズルをしやすくなる
・自制心が弱まる
・人を助ける行動が減る
といった傾向が報告されてきました。
では、もっと構造化された「道徳的ジレンマ」の場面ではどうでしょうか。
トロッコ問題という、古典的な思考実験
研究では、よく知られた「トロッコ問題」が用いられました。
暴走するトロッコがこのまま進めば、5人が死んでしまう。
あなたのそばにはレバーがあり、切り替えるとトロッコは別の線路に進む。
しかしその線路には1人がいる。
このとき、
・レバーを引くか
・引かないか
という選択を迫られます。
さらに、別バージョンでは、
橋の上から大柄な人を突き落とせば、トロッコが止まり、5人が助かる
という状況も提示されます。
また、ピーター・シンガーによる有名な思考実験「溺れる子ども」も使われました。
池で子どもが溺れている。
助ければ靴はダメになるが、子どもは助かる。
助けるか、助けないか。
これらはすべて、「何かをするか/しないか」を問う課題です。
実験の流れ
ベネズエラの大学生を対象に、3つの独立した実験が行われました。
参加者はまず、
・人間の行動は脳の物理的な仕組みによって決まっている
・自由意志は幻想かもしれない
という内容を含む文章を読むグループと、
・脳の一般的な構造や働きを説明する中立的な文章を読むグループ
のどちらかにランダムに割り当てられました。
その後、文章の要点を要約する作業を行い、数分後に道徳的ジレンマに答えました。
つまり、
「自由意志を疑う内容に触れた直後の人」と
「そうでない人」
の判断を比べたのです。
まず確認された「いつものパターン」
全体として、参加者の反応は、これまでの研究と同じ傾向を示しました。
・レバーを引くトロッコ問題では、多くの人が引く
・橋から突き落とす問題では、多くの人が拒否する
・溺れる子どもは、ほとんどの人が助けると答える
この点で、サンプルは特異ではありませんでした。
変化が起きたのは、意外な場面だった
自由意志を疑う文章を読んだ人たちは、
・レバーを引く割合が下がった
・溺れる子どもを助ける割合も下がった
一方で、
・橋から人を突き落とすかどうかの判断には、ほとんど影響がありませんでした。
つまり、
「誰かを直接傷つけるかどうか」には変化がなく、
「自分から介入するかどうか」だけが変化したのです。
冷酷になったわけではなさそうだ
もし自由意志を信じなくなると人が冷酷になるなら、
・橋から人を突き落とす選択が増える
といった変化が出そうです。
しかし、そうはなりませんでした。
むしろ起きていたのは、
行動しない方向へのシフト
でした。
研究者たちはこれを、「モラル・イナーシャ(道徳的慣性)」と呼べる現象として解釈しています。
慣性とは、動いているものがそのまま動き続けようとする性質のことです。
ここでは、
「状況を変える行動を起こさず、流れに任せる」
という意味合いになります。
自由意志を疑うと、「自分が原因になる」という感覚が弱まる
自由意志を否定する考えに触れると、
「自分の行動が本当に世界を変えるのか?」
「結局、すべて決まっているのではないか?」
という感覚が生じやすくなります。
その結果、
・レバーを引く
・池に飛び込む
といった「状況を変える一歩」が、出にくくなる可能性があります。
これは、
「助けたくない」
「どうでもいい」
という気持ちとは少し違います。
むしろ、
自分が介入する意味を感じにくくなる
という変化に近いと考えられます。
なぜ「橋から突き落とす判断」は変わらなかったのか
橋から人を突き落とす場面では、
・他人を直接傷つける
・強い嫌悪感や恐怖を伴う
という特徴があります。
このタイプの判断は、感情的なブレーキが非常に強く働きます。
たとえ自由意志への信念が揺らいでも、
「人を突き落とすのはダメだ」
という直感的な拒否感は、簡単には弱まりません。
そのため、こちらの課題では差が出なかったと考えられます。
この研究が示していること
この研究が示唆しているのは、次のような可能性です。
自由意志を信じなくなると、人は
「より悪くなる」のではなく、
「より動かなくなる」
可能性がある。
道徳的に問題のある行為が増えるというより、
・介入しない
・関わらない
・様子を見る
といった選択が増えるかもしれない、ということです。
道徳判断は「計算」だけではない
従来の道徳心理学では、
・結果を重視する考え
・ルールや禁止を重視する考え
の対立として説明されることが多くありました。
しかしこの研究は、そこにもう一つの軸を示しています。
行動するか、しないか
という軸です。
自由意志への信念は、
「どちらが正しいか」を決める以前に、
「そもそも関与するかどうか」
に影響しているかもしれません。
小さな余白として残る問い
この研究は、自由意志の存在を証明するものではありません。
また、自由意志を信じないことが必ず悪いとも言っていません。
ただ、次のことを静かに示しています。
人は、自分を「行動できる存在」だと感じているとき、
はじめて、道徳的な世界の当事者になる。
もしその感覚が弱まると、
人は善悪の計算以前に、
一歩引いた場所に立ってしまうのかもしれません。
自由意志が本当にあるかどうかとは別に、
自由意志を信じているという感覚が、私たちの行動を支えている
という事実だけは、ここから読み取れるように思われます。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2026.1748028)

