- 変性意識状態は、普通の覚醒と違う心のあり方で、誰にでも起こりうると説明されている。
- 儀式や瞑想などの実践は、内なる混乱を共同体が理解できる形に変え、癒しへつながることがある。
- 医療と宗教の境界は必ずしもはっきりせず、心は一枚岩ではなく状況で別の自分を立ち上げることがある。
ひとつの心が、いくつにも割れるとき
私たちはふだん、「自分は一人で、ひとつの心をもっている」と感じています。
考えているのも、感じているのも、決めているのも、すべて同じ「自分」だと信じています。
ところが、ときどきその前提が揺らぐことがあります。
「自分の中に、別の声がある気がする」
「体が勝手に動いているように感じる」
「気づいたら、さっきの記憶が抜け落ちている」
こうした体験は、病気か、迷信か、あるいは特別な人だけの話だと思われがちです。
しかし、この論文は、そうした理解のしかた自体を問い直します。
研究者たちは、こうした現象を**変性意識状態(altered states of consciousness)**という枠組みで捉えます。
これは、意識が「正常か異常か」で二分されるものではなく、誰にでも起こりうる心の変化の幅の中に位置づけられるものです。
変性意識状態とは、どんな状態なのか
変性意識状態とは、いつもの覚醒状態とは異なる意識のあり方を指します。
注意の向き方が変わり、思考の流れが変わり、自分という感覚が薄れたり、逆に強く意識されたりします。
重要なのは、これが特別な薬物や極端な状況でしか起こらないものではない、という点です。
論文では、瞑想、祈り、詠唱、ダンス、ヒプノシスなど、文化や宗教の中で広く行われてきた実践によっても、こうした状態が生じうることが示されています。
また、変性意識状態は**解離(dissociation)**を伴うことがあります。
解離とは、記憶や感情、自己感覚といった心の要素同士のつながりが、一時的に弱くなる状態を指します。
「自分が自分でない感じ」や「体を外から見ているような感覚」は、その一例です。
ここで研究者たちは、解離を単なる病理現象としてではなく、心が状況に適応するための働きとして捉えています。
「霊に取り憑かれる」という体験を、どう理解するか
論文がとくに注目するのが、スピリット・ポゼッションと呼ばれる体験です。
これは、自分の意思とは別の存在が、身体や行動を支配していると感じられる状態を指します。
文化によって、その意味づけは大きく異なります。
ある社会では神聖な導きとして尊重され、別の社会では悪霊や呪いとして恐れられます。
医療の文脈では、精神疾患の症状として説明されることもあります。
この論文が一貫して避けているのは、「どれが正しい説明か」を決める姿勢です。
研究者たちが重視するのは、その体験が、本人と周囲の人々にとって、どのような意味をもつのかという点です。
同じような意識の変化が起きていても、
それを「病」と呼ぶ社会と、「霊的体験」と呼ぶ社会では、
本人の受け止め方も、支援のしかたも、回復の道筋も変わっていきます。
儀式は、心の混乱を「扱える出来事」に変える
論文の中心的な主張のひとつは、
儀式が、個人の内面の混乱を、社会が理解できる形に変換してきたという点です。
人は誰でも、怒り、不安、恐れ、悲しみを抱えます。
しかし、それをそのまま外に出せば、人間関係や共同体の秩序を壊してしまうことがあります。
そこで、多くの文化は「儀式」という枠を用意してきました。
儀式の中では、ふだんは許されない振る舞いや感情の表出が、限定された形で認められます。
スピリット・ポゼッションの儀礼は、
個人の苦しみを「霊の仕業」という物語に翻訳し、
共同体全体で向き合える出来事に変える役割を果たしてきた、と論文は述べています。
それは、単なる発散ではありません。
混乱や苦痛が、意味をもつ経験として位置づけられ、
ときには癒やしや再統合へとつながる道筋が用意されるのです。
医療と宗教の境界線は、思っているほど明確ではない
現代社会では、こうした体験は医療の領域で扱われることが多くなっています。
一方で論文は、医療と宗教、科学と文化の境界が、実際には非常に重なり合っていることを指摘します。
たとえば、心理療法においても、
安心できる場の設定、特別な時間の区切り、象徴的な言葉や行為が用いられます。
それらは、形式こそ違え、儀式と似た働きをしています。
研究者たちは、変性意識状態を「排除すべき異常」として一括りにするのではなく、
人間の心がもつ柔軟性と適応力の表れとして捉える必要性を示しています。
心は、いつも一枚岩ではない
この論文が最終的に伝えているのは、
心は、私たちが思っているほど単純でも、固定的でもないという事実です。
人は状況によって、
注意の向け方を変え、
自己の境界を緩め、
ときに「別の自分」を立ち上げながら生きています。
それは壊れているからではなく、
生き延びるために、意味を見出すために、
人間が長い時間をかけて育んできた心の性質なのかもしれません。
「ひとつの心が、いくつにも割れる」と感じる瞬間。
そこには、異常ではなく、
人間の心の奥行きが、静かに顔を出しているのかもしれません。
(出典:Integrative Psychological and Behavioral Science DOI: 10.1007/s12124-025-09929-0)

