写真は、どこまで「事実」である必要があるのか?

この記事の読みどころ
  • 生成AIを使うと写真の背景や人を簡単に変えられ、感情を近づける編集が増えている。
  • 編集は「事実」より「体験の感覚」に合う写真を作る目的で行われ、写真は記憶を呼び起こす道具として機能する。
  • 現実と作られたものの境界が不安になる一方で、写真の役割や思い出の定義が変わりつつあり、使い方を選ぶことが大事だとされている。

この研究は、オーストラリアのシドニー工科大学コンピューターサイエンス学部および Materialising Memories & Visualisation Institute の研究チームによって行われました。


写真は「記録」から「再構成」へと変わり始めている

私たちは長い間、写真を「その瞬間をそのまま残すもの」だと考えてきました。
誕生日のケーキ、旅行先の風景、家族の笑顔。
写真は、現実に起きた出来事の証拠であり、過去への入り口のような存在でした。

しかし近年、ジェンエーアイ(生成AI)の登場によって、この前提が静かに揺らぎ始めています。

写真は、撮った後からでも、

  • 表情を変える

  • 背景を入れ替える

  • いなかった人を追加する

  • 不要な物を消す

といった編集が、専門知識なしで簡単にできるようになりました。

この変化に対して、多くの議論は「フェイク画像の危険性」や「ねつ造の問題」に向けられがちです。
けれど、この研究が焦点を当てているのは、だますための編集ではありません。

むしろ、

人はなぜ、思い出の写真を“あえて”作り変えるのか

という問いです。


人は「正確さ」より「しっくりくる感じ」を求めることがある

研究チームは、ジェンエーアイを使って写真を編集する人々へのインタビューや観察を行い、どのような意図で編集しているのかを詳しく調べました。

そこで見えてきたのは、多くの人が次のような目的で写真を編集しているという事実でした。

  • その場では撮れなかった「理想の構図」にしたい

  • 気まずかった瞬間を、穏やかな雰囲気に変えたい

  • 本当は感じていた気持ちに、写真を近づけたい

つまり、人々は「事実に忠実な写真」よりも、「自分の体験の感覚に合う写真」を求めていたのです。

写真は、出来事のコピーではなく、体験の解釈として扱われ始めています。


写真はもともと「記憶をそのまま写す装置」ではなかった

研究チームは、ここで重要な指摘をしています。

そもそも人間の記憶は、ビデオカメラのように正確に保存されるものではありません。
思い出すたびに、少しずつ形を変え、再構成されていきます。

楽しかった出来事は、より楽しく。
つらかった出来事は、意味づけが変わることもあります。

写真も、これまでずっと「記憶を固定するもの」ではなく、「記憶を呼び起こし、形づくる道具」でした。

ジェンエーアイ編集は、その性質を極端に拡張しただけだと、研究は示しています。


「ホントじゃないのに、うれしい」という感覚

研究参加者の中には、編集後の写真を見て次のように感じる人がいました。

  • 実際にはなかった光景なのに、なぜか安心する

  • 本当の写真よりも、こちらのほうが“自分の思い出っぽい”

  • ウソだとわかっているけど、見ていて心地いい

この感覚は、単なる自己欺瞞とは少し違います。

人々は、写真が事実と違うことを理解したうえで、感情的に納得できる形を選んでいます。

研究では、このような編集を、

記録の改ざん
ではなく
体験の再物語化

として捉える視点が提示されています。


ジェンエーアイは「思い出の編集者」になりつつある

これまで、思い出を編集する作業は主に頭の中で行われてきました。

  • 嫌な部分を忘れる

  • 良かった部分を強調する

  • 後から意味づけを変える

ジェンエーアイは、この内的プロセスを視覚的に外在化します。

つまり、

「心の中でやっていた編集」

「画像として見える編集」

へと変わったのです。

研究チームは、ジェンエーアイを単なる画像生成ツールではなく、記憶作業を支援する技術として位置づけています。


それでも残る不安──現実とフィクションの境界

一方で、この変化にはリスクもあります。

  • 本当に起きたことがわからなくなる

  • 他人の記憶と食い違う

  • 後から振り返ったときに混乱する

研究では、参加者自身もこうした不安を感じていることが示されています。

つまり、人々は無批判にジェンエーアイ編集を受け入れているわけではありません。

便利さと同時に、

どこまで編集してよいのか
何を残すべきなのか

を模索しています。


写真の役割が変わると、「思い出」の定義も変わる

この研究が示す大きなポイントは、写真の技術変化が、単なるツールの問題ではないということです。

写真の役割が変われば、

  • 思い出とは何か

  • 体験とは何か

  • 本当らしさとは何か

といった、私たちの根本的な考え方も変わります。

これまでの「思い出」は、

何が起きたか

を中心にしていました。

これからは、

どう感じたか
どう意味づけたいか

が、より前に出てくる可能性があります。


ジェンエーアイは「過去を書き換える装置」なのか

研究は、ジェンエーアイを「危険な記憶改変装置」と単純に断定していません。

むしろ、

  • 人はもともと記憶を編集してきた

  • ジェンエーアイはそれを可視化した

という連続性を強調しています。

重要なのは、技術そのものよりも、

どう使うか
どんな価値観で向き合うか

です。


「正確な思い出」だけが、良い思い出なのか

この研究は、静かに問いかけます。

正確であることは大切です。
しかし、正確であることだけが、思い出の価値でしょうか。

少し理想化された過去。
少しやさしくなった記憶。
少し救われる物語。

それらは、完全な事実ではないかもしれません。
それでも、人が生きていくうえで支えになることがあります。

ジェンエーアイ編集された写真は、その象徴のような存在です。


まとめとして

この研究が伝えているのは、次のようなメッセージです。

ジェンエーアイは、写真を「証拠」から「体験の道具」へと変えつつある。
それは、記憶を壊す技術ではなく、記憶と向き合う方法を拡張する技術かもしれない。

私たちはこれから、
「本当かどうか」だけでなく、
「自分にとってどんな意味をもつか」も考えながら、写真と付き合っていくことになります。

写真は、ますます現実そっくりなウソを作れるようになります。
同時に、心にとって“本当らしい”物語も作れるようになります。

その間で、私たちは揺れながら、選び続けることになるのでしょう。

(出典:arXiv DOI: 10.1145/3772318.3790927

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