- パフォーマンス・クライシスは、結果と内容の両方が期待を下回り、外と内の状態が不安定になるときに起きる。
- クライシスは「事前脆弱性」「引き金」「エスカレートする動態」という3つの段階をたどる。
- 解任は必ずしも成績を直すわけではなく、組織の強さを高める工夫や期待値の管理が大切だ。
勝てない時間は、どこから始まるのか
サッカーは、世界でもっとも多くの人が熱狂するスポーツのひとつです。
2022年ワールドカップ決勝は、15億人が視聴したと報告されています。
しかし、その華やかな舞台の裏側では、「勝てない時間」が必ず存在します。
前年は上位だったチームが、突然低迷する。
勝つはずのチームが、気づけば最下位に沈んでいる。
このような状態は、単なる「不調」ではなく、心理学では**パフォーマンス・クライシス(performance crisis)**と呼ばれています。
今回紹介する研究は、ドイツのプロサッカー監督12名への詳細なインタビューを通して、この「崩壊」がどのように始まり、どのように深まっていくのかを明らかにしたものです。
研究は、カールスルーエ工科大学(Karlsruhe Institute of Technology)スポーツ科学研究所などの研究チームによって実施されました。
これまでの研究は、主に選手側の視点に焦点を当ててきました。
しかし本研究は、「チームを率いる立場」からクライシスを捉え直しています。
そして見えてきたのは、
クライシスは「突然起きる」のではない、という事実でした。
パフォーマンス・クライシスとは何か
監督たちの語りをもとに、本研究は次のように定義しています。
パフォーマンス・クライシスとは、
結果と内容の両方が期待を下回り続ける状態であり、
個人レベルのコントロール喪失、
チーム内部の機能不全、
外部環境からの不安定化が重なった状態である。
重要なのは、「負けが続くこと」だけではないという点です。
監督たちはこう語っています。
-
結果が悪くても、内容が良ければ“結果危機”に過ぎない
-
内容まで崩れたとき、それは“パフォーマンス危機”になる
つまり、
-
外から見えるのは「順位」
-
内部で起きているのは「信頼の揺らぎ」
なのです。
クライシスは3段階で進む
研究では、クライシスの構造を大きく3つに整理しています。
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事前脆弱性(Pre-crisis vulnerabilities)
-
引き金(Trigger)
-
エスカレートする動態(Escalating dynamics)
順番に見ていきます。
① 事前脆弱性 ― 勝っているときは見えない問題
監督たちは、クライシスには「前兆」があると語っています。
それは目立たない“小さなひび”です。
たとえば:
● 外部レベル
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メディアの過度な期待
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ファンからの強烈な批判
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SNSでの攻撃的コメント
● クラブ内部レベル
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経営陣と監督の方向性の不一致
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ビジネス的論理の押しつけ
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権限のあいまいさ
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パワーゲーム
ある監督はこう述べています。
「サッカーはビジネスのように、投資すれば成功する世界ではない」
しかし経営側が「お金をかけたのだから結果が出るはず」と考えると、
期待と現実のズレが大きくなります。
● チーム内部レベル
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役割の不明確さ
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人間関係の緊張
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疲労の蓄積
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経験不足
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表に出ない対立
監督の一人はこう言います。
「勝っているときは、みんな我慢できる」
つまり成功は、問題を“隠す”のです。
② 引き金 ― 負けはスイッチになる
そしてある試合で負ける。
それ自体は珍しいことではありません。
しかし、
期待が高い状態で負けると、それは単なる敗北ではなくなります。
監督の言葉です。
「期待が高いほど、落ちるのは早い」
ここで重要なのは、
結果と期待のズレです。
このズレが、チームの空気を変えます。
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疑念が生まれる
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批判が増える
-
内部の小さな違和感が浮上する
これがクライシスの転換点になります。
③ エスカレートする動態 ― 自己強化のループ
一度動き始めると、クライシスは“自己強化”していきます。
● チーム内部
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責任の押しつけ合い
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「自分は悪くない」という文化
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対立の個人化
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チーム分裂
ある監督はこう語ります。
「チームは三つに割れ、互いに責め合っていた」
● クラブ内部
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監督への信頼喪失
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決定権の制限
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経営陣の介入
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シーズン目標の突然変更
ある監督は、キャプテンを外す判断を禁止されたと語っています。
「自分の領域で決断できなかった」
信頼が崩れると、
心理的安全性も崩れます。
● 外部
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メディアが対立を煽る
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発言の切り取り
-
解任報道の拡散
監督は「顔」として、すべての圧力を引き受ける存在になります。
監督は「圧力バッファー」になる
興味深いのは、監督自身が自分の役割をこう捉えていることです。
「監督は圧力を吸収する存在だ」
上からの圧力、外からの批判、内部の混乱。
それらを選手に直接伝えず、
自分で受け止めること。
それが良いリーダーだと彼らは言います。
しかし同時に、監督自身もクライシスの一部になります。
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判断の迷い
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過剰な修正
-
自己疑念
クライシスは「人」ではなく、「関係性」の問題なのです。
なぜ監督解任は繰り返されるのか
研究では、いわゆる“スケープゴート理論”にも言及しています。
監督を替えることは:
-
選手を解雇するより安い
-
経済的リスクが少ない
-
外部への説明がしやすい
しかし実証研究では、
監督交代が必ずしも成績向上につながらないことが示されています。
短期的な「修正」は、
構造的問題を放置する可能性があるのです。
この研究が示した本質
この研究の最も重要なメッセージは、次の点にあります。
クライシスは、
-
弱いから起きるのではない
-
一試合の失敗で起きるのでもない
-
個人のせいでもない
それは、
多層的な関係の崩れが連鎖した結果
なのです。
実践への示唆
研究チームは、いくつかの実践的示唆を挙げています。
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組織レベルでのレジリエンス強化
-
期待値の現実的設定
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階層間のコミュニケーション改善
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目標の共有と明確化
-
圧力の適切なフィルタリング
特に重要なのは「期待管理」です。
結果が悪いことよりも、
期待と現実のギャップがクライシスを生みます。
最後に
勝てない時間は、どのチームにも訪れます。
しかしそれは、
単なる「不調」ではなく、
組織の関係性が試される瞬間でもあります。
この研究は、
パフォーマンス・クライシスを“感情”ではなく“構造”として理解する視点を提示しました。
スポーツに限らず、
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会社
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学校
-
家族
あらゆる集団に当てはまる問いです。
結果が出ないとき、
私たちは誰を責めるのか。
そして本当は、
どこに目を向けるべきなのか。
クライシスは突然起きるのではありません。
それは、見えないひびが重なったときに姿を現すのです。
(出典:PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0343985)

