「隠すこと」は、心を守っているのか

この記事の読みどころ
  • 乳がん患者ではPTSS(心のストレス症状)を抱える人が多いことが分かりました。
  • 自己隠蔽と体験の回避の2つが PTSS に影響を及ぼし、回避は特に強く関連しています。
  • 統計的には「自己隠蔽 → 体験の回避 → PTSS」という経路が有意とされ、支援やまとまりのある対話が重要だと示されています。

乳がんの診断は、身体だけでなく、心にも大きな衝撃を与えます。
命の脅威、手術、抗がん剤治療、放射線治療。外見の変化や将来への不安。

それは単なる「病気」ではなく、強い心理的衝撃をともなう出来事でもあります。

今回紹介する研究は、中国・徳陽市人民病院(Deyang People’s Hospital)の腫瘍科および腎臓内科などの研究チームによって行われました。研究者たちは、乳がん患者の心の中で何が起きているのかを、ある3つの心理的要素から明らかにしようとしました。

その3つとは、

  • 自己隠蔽(Self-concealment)

  • 体験の回避(Experiential avoidance)

  • 外傷後ストレス症状(PTSS:Post-traumatic stress symptoms)

です。


外傷後ストレス症状とは何か

外傷後ストレス症状(PTSS)は、強い衝撃的体験のあとに現れる心の反応です。

主な特徴は3つあります。

  1. 侵入症状
    つらい記憶が突然よみがえる、悪夢を見る

  2. 回避
    その出来事を思い出させる場所や話題を避ける

  3. 過覚醒
    常に警戒している状態になる

乳がんは、DSM-5(精神疾患の診断基準)でも「外傷となりうる出来事」に含まれる可能性があります。実際、乳がん患者の約24%がPTSD水準に達することがあると報告されています。

本研究では、257名の乳がん患者(全員女性、平均年齢47.49歳)を対象に調査が行われました。

PTSSの平均得点は 32.29点(88点満点中)で、これは中等度レベルにあたります。

つまり、多くの患者が、治療後も心理的なストレスを抱えていることが示されました。


自己隠蔽とは何か

自己隠蔽とは、「つらいことを他人に打ち明けない傾向」のことです。

深刻な病気、恥ずかしさ、苦しみ、家族への負担感。
そうした感情を「自分の中に閉じ込める」性質です。

研究では、自己隠蔽傾向を10項目の尺度で測定しました。
平均得点は 24.75点でした。

自己隠蔽が強い人は、

  • 他人に弱さを見せない

  • 本音を言わない

  • 助けを求めない

という傾向があります。

一見すると、それは「強さ」にも見えます。

しかし、この研究が示したのは、少し違う姿でした。


体験の回避とは何か

体験の回避(Experiential avoidance)は、

「つらい感情や記憶、身体感覚を感じないようにしようとする傾向」

を指します。

たとえば、

  • 病気のことを考えないようにする

  • 診断の場面を思い出さないようにする

  • 手術の痛みの記憶を避ける

こうした心の動きです。

短期的には楽になります。
しかし長期的には、記憶の整理が進まず、症状が持続する可能性があります。

研究では、体験の回避の平均得点は 18.48点でした。


3つの関係はどうつながっているのか

統計分析の結果、次のことが明らかになりました。

  1. 自己隠蔽はPTSSと正の相関がある(r=0.467)

  2. 自己隠蔽は体験の回避と正の相関がある(r=0.343)

  3. 体験の回避はPTSSと強く関連している(r=0.534)

さらに媒介分析(ある要因が間に入って影響するかを調べる分析)では、

自己隠蔽 → 体験の回避 → PTSS

という経路が統計的に有意であることが示されました。

自己隠蔽のPTSSへの総効果は 0.453。
そのうち 31.35% が体験の回避を通じた影響でした。

つまり、

「隠す傾向」があると、
「感じないようにする傾向」が強まり、
それがトラウマ症状を強める

という心理メカニズムが確認されたのです。


なぜ回避は症状を悪化させるのか

研究では、二重表象理論(Dual Representation Theory)が背景理論として用いられています。

この理論では、トラウマ記憶は2種類に分かれます。

  • 言語化できる記憶(VAM)

  • 感覚的・情動的記憶(SAM)

体験の回避が強いと、これらが統合されません。

その結果、
匂い、音、身体の感覚などが突然引き金になり、
フラッシュバックや悪夢として再体験されます。

回避は一時的な防御ですが、
統合を妨げることで、長期的な症状の持続につながる可能性があるのです。


臨床的な意味

この研究は、いくつかの実践的示唆を示しています。

医療者は、

  • 患者の自己隠蔽傾向を早期に見つける

  • 判断しない対話環境を作る

  • 社会的支援を促す

ことが重要だとされています。

具体的には、

  • 認知行動療法

  • 受容とコミットメント療法

  • EMDR(眼球運動による脱感作)

などが提案されています。

また、家族教育やピアサポートの場の整備も重要とされています。


限界

本研究は横断研究であり、因果関係を確定できるわけではありません。

また、単一病院での調査であり、自己報告尺度を用いているため、一般化には限界があります。

さらに、反すう思考や認知的再評価など他の媒介要因は検討されていません。


結論

本研究は、乳がん患者において、

自己隠蔽は外傷後ストレス症状を直接高める
さらに体験の回避を通じても影響する

ことを示しました。

隠すことは、短期的には心を守るかもしれません。

しかし、
「感じないようにする」ことが続くと、
心は整理の機会を失います。

自己保護は、必ずしも回復ではない。

その微妙な違いを、この研究は静かに示しています。

私たちは、弱さを見せないことを強さだと考えがちです。
しかし、語ること、感じること、支援を求めることもまた、回復の力なのかもしれません。

隠すことは、本当に守っているのか。
それとも、別の何かを失わせているのか。

その問いは、乳がんという状況を超えて、
私たち自身の生き方にも静かに向けられているのかもしれません。

(出典:PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0342971

テキストのコピーはできません。