科学を信じる社会、祈りを信じる社会

この記事の読みどころ
  • 祈りが多い州ほどがん・心疾患・乳児・COVID-19の死亡率が高い傾向があるが、因果を決めつけてはいけない。
  • 祈りの多さは予防行動の軽視と関係があるかもしれず、喫煙率や野菜果物の摂取、ワクチン接種の低さと関連が示唆された。
  • 公衆衛生予算・医師の数・所得格差などの社会要因も影響し、州レベルの相関しかわからない。

祈りは人を守るのか、それとも――科学と政治が交差する州別死亡率の分析

アメリカのイェール大学公衆衛生大学院(Yale University School of Public Health)に所属する研究者によって発表された本研究は、非常に刺激的で、しかも慎重に読まれるべき問いを提示しています。

それは、「祈りが多い州ほど、死亡率は低いのか」という問いです。

研究では、アメリカ50州を対象に、2018〜2019年のがん・心疾患・乳児死亡率、そして2020〜2021年のCOVID-19死亡率を比較しました。いずれも年齢調整死亡率という方法で、人口構成の違いをならした上で計算されています。

さらに、州ごとの「毎日祈ると答えた人の割合」、2016年大統領選でのトランプ得票率、所得格差(ジニ係数)、公衆衛生支出、医師数、都市人口割合などを統計的に組み込み、相関を分析しました。

結論は単純ではありません。しかし、驚くべき傾向が示されています。


祈りが多い州ほど、死亡率は高いという結果

仮説としては、「祈りが多い州では健康リスクが低いのではないか」という可能性も考えられました。

しかし結果は逆でした。

毎日祈る人の割合が高い州ほど、

  • がん死亡率

  • 心疾患死亡率

  • 乳児死亡率

  • COVID-19死亡率

のすべてが高い傾向を示しました。

統計的に他の要因を調整しても、この関連は一貫して残りました。

重要なのは、これは「祈りが死を招く」という意味ではないということです。著者自身も明確に否定しています。

では何が起きているのでしょうか。


予防行動との関連

研究ではさらに、州ごとの健康行動も分析しました。

その結果、祈る人の割合が高い州では、

  • 喫煙率が高い

  • 果物・野菜の推奨摂取率が低い

  • COVID-19ワクチン接種率が低い

という傾向が見られました。

これは重要なポイントです。

祈りそのものが問題なのではなく、「科学的な予防行動をどの程度受け入れるか」という姿勢と関連している可能性が示唆されています。

著者はこれを「予防の軽視仮説(neglect hypothesis)」と呼んでいます。つまり、信仰への依存が、科学的予防策の実践を弱めている可能性があるという考えです。

ただし、州単位の集計データから個人の心理を断定することはできません。この点は研究の大きな制限として明示されています。


政治との関係

2016年のトランプ得票率も分析に含まれました。

結果は複雑ですが、

  • がん死亡率

  • COVID-19死亡率

については、トランプ得票率が高い州で高い傾向がありました。

ただし、心疾患や乳児死亡率では有意な関連は見られませんでした。

政治的態度と公衆衛生政策、そして科学への信頼は、パンデミック期に特に強く絡み合いました。本研究は、その構造がCOVID-19だけでなく他の死亡原因にもどこまで波及しているのかを探ったものです。


公衆衛生支出と医師数

公衆衛生への支出が多い州では、

  • がん死亡率

  • 心疾患死亡率

が低い傾向にありました。

一方、COVID-19死亡率は、医師数が多い州で低い傾向が見られました。

ここから見えてくるのは、「長期的な慢性疾患」と「急性感染症」では、影響する構造がやや異なるということです。

慢性疾患は長年の生活習慣と予防政策の蓄積が影響します。感染症は医療アクセスの即時性がより強く影響する可能性があります。


所得格差の影響

所得格差(ジニ係数)が高い州では、

  • 心疾患

  • 乳児死亡

  • COVID-19

の死亡率が高い傾向が示されました。

一方、生活費で補正した所得そのものは、統計的に有意な説明力を持ちませんでした。

つまり、「平均的にどれだけ稼いでいるか」よりも、「格差がどれだけあるか」が重要である可能性が示唆されています。


この研究の限界

著者は強調しています。

  • 州レベルのデータから個人因果を断定できない

  • 未測定の変数が影響している可能性がある

  • 祈りが死亡率を上げるわけではない

あくまで相関研究です。

しかし、もし祈りが病気を予防するのであれば、相関は負の方向に出るはずです。それが正の方向に出ていることは、社会的・文化的背景を考える必要性を示しています。


科学と信仰は対立するのか

この研究は「信仰を否定する」ものではありません。

問いは別のところにあります。

科学的予防策と、宗教的世界観や政治的態度がどのように結びつくのか。

公衆衛生を支える制度への信頼と、宗教的実践はどのような関係にあるのか。

パンデミックは、その関係を強烈に可視化しました。

本研究は、がんや心疾患という長期的な病気まで含めて、その構造を州単位で検討した点に意味があります。


私たちは何を考えるべきか

この論文は挑発的です。しかし断定的ではありません。

「祈りが多い州で死亡率が高い」という結果は、

  • 予防行動の違い

  • 政治的態度

  • 公衆衛生への投資

  • 所得格差

  • 医療資源の分布

など、複数の要因が重なった結果かもしれません。

科学と信仰は必ずしも対立しません。しかし、科学的知見を社会政策にどれだけ反映させるかという問題は、信念や政治と無関係ではありません。

祈りは人を守るのか。

それとも、守るべき行動を弱めるのか。

この問いは、宗教そのものよりも、「私たちはどの知識を信頼し、どの制度を支持するのか」という、より深い社会の問題を浮かび上がらせています。

そしてその答えは、州ごとの統計の中ではなく、私たち一人ひとりの態度の中にあるのかもしれません。

(出典:PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0343211

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