遺伝か、環境か、という問いはもう古いのかもしれない

この記事の読みどころ
  • 子ども時代が恵まれていると、教育達成ポリジェニックスコアが高い人はリスクを取りやすく、忍耐力があり、長期の計画を立てやすい。
  • 不利な環境で育つと、同じ遺伝的傾向でもリスクを避ける傾向が強まり、忍耐や長期計画との関連が弱まる。
  • 遺伝と環境は二分せず、環境が遺伝の表れ方を左右するため、不平等の再生産を考える必要がある。

― 子ども時代の環境が「遺伝的傾向のあらわれ方」を変えるという研究 ―

「頭がいい人は、将来のことを考えられる」
「知的能力が高い人は、リスクをうまく取れる」

こうした考えは、直感的にも理解しやすいものです。実際、これまでの研究でも、認知能力が高い人ほど忍耐強く、リスク回避的でない傾向があることが報告されてきました。

一方で、子ども時代の環境が、将来の選択行動に強く影響することも知られています。経済的に不安定な家庭で育った人は、短期的な選択をしやすくなることや、リスク行動に特徴が見られることも指摘されています。

では、もし「遺伝的に教育達成と関連する傾向」を持っている人が、厳しい環境で育った場合、その傾向はそのまま発揮されるのでしょうか。それとも、環境によって違った形であらわれるのでしょうか。

この問いに取り組んだのが、イギリスのバース大学(University of Bath)経営学部の研究者による最新研究です。本研究は『Communications Psychology』に掲載予定の論文として公表されました。


「ポリジェニックスコア」とは何か

本研究で用いられた中心的な指標は、「教育達成ポリジェニックスコア」と呼ばれるものです。

ポリジェニックスコアとは、ある特性と統計的に関連している多数の遺伝的変異を合算した予測指標です。ここで言う教育達成ポリジェニックスコアは、学歴そのものを決める遺伝子を意味するものではありません。

このスコアは、

・認知能力
・学習に関わる神経機能
・言語や記憶に関連する脳領域
・知能の一般因子
・神経症傾向や開放性といった性格傾向

などと関連する遺伝的変異の統計的な合成値です。

重要なのは、これは「決定論的な遺伝子」ではなく、「ある傾向と関連しやすい遺伝的パターン」をまとめた指標にすぎないという点です。


何を調べたのか

研究では、イングランドの高齢者を対象とした大規模パネル調査データが使われました。

主に二つのデータが分析されています。

一つは、実際に金銭報酬が支払われる実験課題を用いてリスク選好と時間選好を測定したサンプル(624人)。
もう一つは、将来の計画期間に関する質問を用いた大規模調査サンプル(約5,800人、延べ約11,500観測)です。

リスク選好は、異なる当選確率と金額のくじを選ばせる課題によって測定されました。
時間選好は、「より早く少ない金額を受け取る」か「遅くより多い金額を受け取る」かを選ばせる複数価格リスト法で測定されています。

さらに重要なのが、子ども時代の環境です。

研究では、以下の四つの側面から「子ども時代の不利環境」が評価されました。

・親の教育水準
・家庭の職業的資源
・住宅設備の不足
・家庭の不安定さ(離婚・別居など)

これらのうち二つ以上を経験した人を「不利な子ども時代」と分類しています。


結果1:恵まれた環境で育った場合

まず、子ども時代に大きな不利を経験していない人たちでは、教育達成ポリジェニックスコアが高いほど、

・リスク回避傾向が低い(よりリスクを取る)
・割引率が低い(より忍耐強い)
・長期的な計画を立てやすい

という傾向が確認されました。

これは従来の「認知能力が高い人ほど将来志向的である」という知見と整合的です。認知資源が豊かな人は、感情的・衝動的な判断を抑制し、長期的な利益を考慮できるという理論とも一致します。


結果2:不利な環境で育った場合

しかし、子ども時代に不利環境を経験した人では、まったく異なるパターンが見られました。

教育達成ポリジェニックスコアが高い人ほど、

・むしろリスク回避的になる
・忍耐強さとの関連が弱まる
・長期的計画との関連が大幅に減少する

という結果が示されたのです。

特にリスク選好に関しては、恵まれた環境で育った人では「スコアが高いほどリスクを取る」傾向がある一方で、不利環境で育った人では「スコアが高いほどリスクを避ける」という逆転現象が確認されました。

同じ遺伝的傾向が、環境によって正反対の行動傾向としてあらわれているのです。


どう解釈できるのか

研究では、二つの理論的枠組みが参照されています。

一つは「経験的カナライゼーション枠組み」です。これは、子ども時代の慢性的ストレスや不安定さが、情動反応を強め、熟慮的な思考の発達を制約する可能性を指摘するものです。環境の制約が、遺伝的傾向の発現を抑制するという考え方です。

もう一つは「適応的キャリブレーションモデル」です。これは、厳しい環境が生物学的システムをその環境に適応する方向へ調整するという理論です。

不安定な環境で育った場合、警戒や不確実性への感受性が高まり、リスク回避的になることが合理的適応となる可能性があります。その場合、高い認知資源は「探索」よりも「警戒」に使われるかもしれません。

つまり、遺伝的傾向は一方向に働くのではなく、環境の中で方向づけられるということです。


不安をあおる話ではない

この研究は、遺伝が運命を決めると言っているわけではありません。むしろ逆です。

同じ遺伝的傾向を持っていても、子ども時代の環境によって、まったく異なる行動パターンがあらわれることを示しています。

それは、遺伝が固定的なものではなく、「環境の中で形をとる傾向」にすぎないということを意味します。


不平等はどこで固定されるのか

本研究の重要な含意は、社会的不平等の再生産にあります。

もし、恵まれた環境で育った人だけが、認知関連の遺伝的傾向を「長期志向」「適度なリスクテイク」として発揮できるとすれば、不利環境で育った人は、その潜在的資源を十分に活かせない可能性があります。

それは「能力がない」という話ではなく、「能力が発揮される条件が整っていない」という問題です。

遺伝か、環境か、という二分法はもはや適切ではありません。
遺伝は環境の中で方向づけられ、環境は遺伝のあらわれ方を形づくります。

問いは変わります。

私たちは、どのような環境を用意すれば、人が持つ潜在的資源を最もよく引き出せるのか。

この研究は、遺伝を強調するのではなく、むしろ環境の力を改めて浮き彫りにしているのかもしれません。

結論を急ぐ必要はありません。

ただ一つ確かなのは、
可能性は、生まれつき固定されているわけではないということです。

(出典:communications psychology

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