- 集団になると個人の判断が弱くなり、同じ話題を共有すると疑問が出にくくなることがある
- 未確認航空現象は心理社会的な動きが影響することがあるが、すべてを心の病として説明してはいけない
- UFOからUAPへ言葉が変わっても、受け止め方が大きく変わったとは限らないと指摘されている
なぜ「空に見えたもの」は、ここまで信じられてきたのか
夜空に浮かぶ、正体のわからない光や物体を見た。
それが錯覚だったのか、自然現象だったのか、それとも説明できない何かだったのか。
こうした問いは、現代に突然生まれたものではありません。人類の歴史を振り返ると、空に現れた不可解な現象は、常に物語や信念、そして集団の感情と結びついて理解されてきました。
本稿で扱う研究は、未確認航空現象と呼ばれる出来事が、どのように社会や文化の中で受け取られ、時に「集団心因性疾患」という枠組みで理解できる側面を持つのかを整理しています。重要なのは、研究者たちが、すべての未確認航空現象を心理的な錯覚や集団的な思い込みとして説明しようとしているわけではない、とはっきり述べている点です。ここで示されているのは、現象の一部に見られる、集団的・心理社会的な動きについての考察です。
集団になると、人はどう変わるのか
人は集団になると、個人としての判断や批判的な思考が弱まりやすくなります。
集団の中では、「みんながそう思っている」という感覚が強まり、個々人の違いや疑問が目立たなくなっていきます。このような状態は、実際に同じ場所に集まっていなくても、共通の話題や信念、物語を共有しているだけで生じることがあります。
特に、不安や恐怖、脅威が感じられる状況では、集団は特定の解釈を強く支持しやすくなります。疫病、戦争、災害、社会不安、そして正体のわからない出来事は、人々の心を結びつける一方で、疑問を差し挟みにくい空気を生み出します。
集団心因性疾患という考え方
集団心因性疾患とは、はっきりした身体的な原因が見つからないにもかかわらず、同じ集団の中で似た症状や体験が広がっていく現象を指します。
めまい、頭痛、吐き気、脱力感、過呼吸などの症状が、恐怖や噂、報道などをきっかけに、次々と人から人へと伝わっていくことが知られています。
こうした現象は、学校や職場、宗教的な集まりなど、閉じた環境や強い上下関係を持つ場で起こりやすいとされています。ただし、これは特別な人たちに限った話ではありません。人間の心理と社会的な条件が重なれば、誰にでも起こりうる反応として理解されています。
UFOからUAPへ、言葉は変わったが
20世紀後半、「UFO」という言葉は、宇宙人や陰謀論と強く結びつきながら広まっていきました。
近年では、より中立的な表現として「未確認航空現象」という言い方が使われるようになっています。しかし、研究者たちは、言葉が変わったからといって、人々の受け止め方や心理的な反応が大きく変わったとは言い切れないと指摘しています。
1940年代後半に始まった目撃談の広がりは、当時の社会的不安やメディアの影響と密接に関係していました。その後も、特定の時期や状況で「目撃の波」が起こる現象が繰り返されてきました。
見たものは、事実か、物語か
未確認航空現象の多くは、個人の証言に基づいています。
心理学の研究では、人の記憶や証言は、本人に嘘をつく意図がなくても、状況や周囲の影響によって変化しやすいことが知られています。
特に、正体のわからない刺激に直面したとき、人は既に知っている物語や概念を使って意味づけを行います。集団で同じ出来事を目撃した場合、その解釈は次第にそろっていき、「同じものを見た」という確信が強まります。この過程で、個々の曖昧さは見えにくくなっていきます。
信念が共同体をつくるとき
研究では、未確認航空現象に関する信念が、時に強い集団的結束を生み出してきた事例も取り上げられています。
そこでは、現象が単なる出来事ではなく、救済や啓示、終末といった意味を持つ物語として語られることがあります。
こうした集団では、内部での確認や同意が繰り返され、異なる視点が入り込みにくくなることがあります。研究者たちは、これを単純に非合理な行動として片づけるのではなく、不安や意味の喪失という、人間が共通して抱える問題への反応として捉える必要があるとしています。
心理だけでは説明しきれないもの
本研究は、集団心因性疾患という考え方が、未確認航空現象のすべてを説明するものではないことを繰り返し強調しています。
物理的、技術的、自然科学的な検討は不可欠であり、それらを否定する意図はありません。
ただし、情報が高速で拡散し、不安が共有されやすい現代社会では、心理社会的な側面を無視した理解は不十分になると指摘されています。身体と心、個人と社会が相互に影響し合う視点が求められているのです。
わからないまま、考え続けるために
空に見えたものが何だったのか。
その問いに、はっきりした答えが出ないままの事例は、今も数多く存在します。
しかし、「なぜそれが信じられたのか」「なぜ同じ意味づけが広がったのか」と問い直すことで、人間の心と社会の働きが浮かび上がってきます。この研究は、未確認航空現象を信じるか否かという二択から離れ、人が不確実な世界とどう向き合ってきたのかを考えるための視点を示しています。
結論を急がず、説明しきれない部分を残したまま考え続けること。
それ自体が、今の時代において大切な姿勢なのかもしれません。
(出典:ResearchGate)
