- 自由意志は「これ以上削れない最低限の条件」から説明するベッドロック理論という考え方で整理されている。
- 決定論を否定し、開かれた因果の中で人の思考や判断が結果に影響を与えることが自由意志の要素だとする。
- 責任は自由意志を別に足すものではなく、行動が本人に帰属すること自体が成り立つ条件だと説明されている。
フリーウィルは「上昇」するのか
――最小限の条件から考える自由意志
私たちは日々、考え、迷い、決めています。
そのとき、「自分で選んだ」という感覚は、ただの錯覚なのでしょうか。それとも、現実の世界の中で、確かに成立しているものなのでしょうか。
この論文は、自由意志(フリーウィル / free will)をめぐる長年の議論に対して、きわめて控えめで、しかしはっきりとした立場を提示します。
著者は、自由意志について「これ以上削れない最小限の条件」だけを取り出し、そこから理論を組み立てます。この立場を、著者は「ベッドロック理論(bedrock theory)」と呼びます。
この論文の主張は、自由意志を神秘的な力や特別な形而上学に頼らず、私たちがふだん世界を理解するときに使っている因果や説明の枠組みの中に位置づけようとする点にあります。
自由意志を妨げる「門番」は本当にいるのか
自由意志に否定的な議論では、「これがある限り自由意志は成り立たない」とされる概念がしばしば登場します。
この論文では、そうしたものを「概念的な門番(ゲートキーパー)」と呼びます。
具体的には、次のようなものです。
決定論(デターミニズム / determinism)、
非決定性(インデターミナシー / indeterminacy)、
還元主義(リダクショニズム / reductionism)、
創発(エマージェンス / emergence)、
構成(コンポジション / composition)、
究極的起源(アルティメット・オリジネーション / ultimate origination)、
そして、どのような基準で「知っている」と言えるのかという認識基準の問題です。
著者は、モーダル論理(可能性や必然性を扱う論理)を用いて、これらのどれもが「形而上学的に必然な障壁」ではないことを示します。
つまり、これらの概念が存在していても、自由意志という概念そのものが論理的に排除されるわけではない、という立場です。
この段階で著者が行っているのは、「自由意志が存在する」と証明することではありません。
まず、「自由意志は最初から不可能だ」という主張が成り立たないことを示しているのです。
ベッドロック理論が満たすべき条件
概念的な門番が退いたあと、著者は問いを次の段階に進めます。
それでは、自由意志があると言えるためには、最低限、何が必要なのか。
著者は、どんな自由意志の理論であっても、次の四つの条件を満たさなければならないと述べます。
第一に、決定論が事実として正しくないこと。
もし世界のすべてが完全に決まっているなら、他の条件を議論する意味はなくなります。
第二に、人間がエージェンシー(主体性 / agency)をもっていること。
これは、人が熟考し、理由を評価し、自分を制御しながら行動できる能力をもっている、ということです。
第三に、その能力の行使が、実際に結果に違いをもたらすこと。
著者はこれを「コントロール(control)」と呼びます。
第四に、そうした行為が本人に帰属し、責任(レスポンシビリティ / responsibility)が成り立つことです。
著者は、これらの条件はどれか一つでも欠ければ自由意志は成立せず、逆に、これらを満たすなら、それ以上の条件を付け足す必要はないと考えます。
決定論は「知識」として成立しているのか
この論文で重要な転換点となるのが、決定論の扱いです。
著者は、決定論が「形而上学的に必然ではない」だけでなく、「事実としても正しくない」と主張します。
その根拠となるのが、著者が別の研究で提示した「誤りうる認識基準(ファリビリズム / fallibilism)」です。
これは、「絶対的な確実性」を知識の条件にするのではなく、現実の世界で利用可能な証拠と分析をもとに、もっとも妥当な説明を採用するという立場です。
この基準に照らすと、決定論は世界を説明する理論として支持されていない、というのが著者の結論です。
したがって、自由意志を最初から否定する「事実上の障害」として、決定論を置くことはできない、とされます。
開かれた因果と、人のコントロール
決定論が退けられたあとに残るのは、混沌や偶然ではありません。
著者は、自由意志が成立するための因果を、「固定されていないが、無秩序でもない因果」として描きます。
この世界では、原因は存在しますが、結果は一つに決め打ちされていません。
人の熟考や理由づけ、自己制御といった能力が、どの結果が実現するかに実際の影響を与えます。
著者は、このような説明は、日常生活や科学の中でごく普通に使われているものだと述べます。
生物学や経済学、医療や統計の分野では、粒子レベルの運動ではなく、機能や期待、行動の違いによって結果を説明します。
自由意志に必要なのは、物理法則を破る力ではなく、こうした「開かれた因果」の中で、自分の能力が結果に違いを生むことだとされます。
責任は「付け加えるもの」ではない
最後に、著者は責任について述べます。
責任は、自由意志に追加で必要な条件ではありません。
人が自分の能力によって行動し、その行動が結果を生み出すなら、その行為をその人に帰属させることは、因果関係を正しく認めることにすぎません。
称賛や批判、助言や契約、後悔や謝罪といった実践は、この帰属を前提としています。
著者のベッドロック理論は、こうした日常的な実践を特別な道徳理論に頼らずに支えるものだとされています。
最小限だが、取るに足らないわけではない
著者は、この理論を「最小限」だと繰り返し強調します。
しかし、それは重要でないという意味ではありません。
もし人がこのようなかたちでコントロールをもっているなら、私たちは自分の行為だけでなく、信念の形成や判断のしかたについても責任をもつことになります。
教育や説得、批判や自己改善が正当化される理由も、そこにあります。
自由意志は、どこか神秘的な場所にあるのではなく、私たちがふだん行っている「考えて決める」という営みの中で、静かに成立している。
この論文は、その可能性を、最も低い地面から丁寧に積み上げています。
(出典:PhilArchive)

