- 乳児は三者以上の役割がある場面を見たあと、分け方が公平か不公平かで長く見て推測している可能性がある。
- 守る役には「公平に分けるはずだ」という期待が生まり、被害者にも同様の期待が見られたが、傍観者には大きな差が出なかった。
- 社会経験が多い乳児ほど守る役と攻撃者の区別がはっきりし、道徳的性格推測が発達段階でも現れ得る可能性を示唆している。
この論文は、カナダのトロント大学(University of Toronto)心理学部の研究チームによって行われた実験研究です。対象は、12〜24か月の乳児です。研究の中心的な問いは、乳児が複数の登場人物が関わるやや複雑な社会的場面を見たあとに、「この登場人物はこういう人らしい」といった道徳的な性格(moral character)の推測をしているのかという点にあります。
大人であれば、誰かが誰かを助ける場面を見れば「親切な人だ」と思い、誰かを傷つける場面を見れば「意地悪な人だ」と感じます。そしてその印象は、その人の別の行動にも広がります。「親切な人ならきっと公平に分けるだろう」「意地悪な人なら自分勝手かもしれない」といった具合です。
では、こうした“性格の一般化”は、いつ頃から始まっているのでしょうか。
この研究は、その問いに乳児レベルで迫ろうとしたものです。
二人ではなく「三者以上」の関係を見る
これまでの乳児研究では、助ける/妨げるといった二者関係が多く扱われてきました。しかし現実の社会はもっと複雑です。誰かが誰かを攻撃し、それを止める人がいて、見ているだけの人もいる。そこには役割の違いが存在します。
この研究では、目のついた図形キャラクターを使い、次のような役割が登場するアニメーションを乳児に見せました。
・攻撃する役(aggressor)
・被害を受ける役(victim)
・守る役(protector)
・関わらず避ける役(bystander)
乳児はまず、こうした役割のある社会的出来事を観察します。
そのあと、場面が切り替わります。先ほどの登場人物のうちの一人が、別の二人にイチゴを分ける場面が提示されます。ここで重要なのは、分け方が二種類あることです。
・公平(同じ数ずつ分ける)
・不公平(片方に多く、片方に少なく分ける)
研究者は、乳児がどちらの場面をより長く見るかを測定しました。乳児研究では、「予想外の出来事ほど長く見る」という性質を利用します。つまり、長く見た場面は「自分の期待と違っていた可能性がある」と解釈されます。
守る役には「公平であってほしい」と期待する
結果は興味深いものでした。
守る役(protector)が不公平に分けたとき、乳児はより長くその場面を見ました。つまり、乳児は守る役に対して「公平に分けるはず」という期待を持っていた可能性が高いと解釈されます。
これは、乳児が「守る」という行動から「この登場人物は道徳的に良い側だ」という性格的推測を行い、その推測を別の行動領域(分配の公平さ)へと一般化している可能性を示します。
単なる「好き嫌い」ではなく、「この人はこういうタイプだ」という広がりが見えてきます。
被害者にも公平さを期待する
さらに興味深いのは、被害者(victim)に対する反応です。
被害者が不公平に分けたときも、乳児はより長く見る傾向が示されました。つまり、被害者に対しても「公平にするはず」という期待を持っていた可能性があります。
大人社会では、被害者の評価は一様ではありません。しかし少なくともこの実験条件では、乳児は被害者を「悪い側」とは捉えていないように見えます。
傍観者には強い期待を持たない
一方で、傍観者(bystander)に対しては、公平でも不公平でも注視時間に大きな差が見られませんでした。
これは、乳児が傍観者に対して明確な道徳的期待を持ちにくい可能性を示唆します。関与していない存在に対しては、性格推測が強く働いていないのかもしれません。
攻撃者についてはやや不安定な結果
攻撃者(aggressor)については、実験1では不公平を期待する方向が見られましたが、実験2では一貫した有意な結果は得られませんでした。
この点は研究上の慎重な議論が必要な部分です。ただし、守る役に対する公平期待は再現されています。
社会経験との関連
この研究はさらに一歩踏み込み、乳児の社会経験との関連も探索的に分析しています。きょうだいの有無や保育施設での経験をまとめた指標を作り、その量と役割区別の強さを比較しました。
その結果、社会経験が多い乳児ほど、守る役と攻撃者の区別がよりはっきりする傾向が示されました。
つまり、道徳的性格推測は単に月齢だけで決まるのではなく、「どれだけ他者と関わってきたか」という経験とも関連している可能性があります。
乳児の中にある「道徳の骨格」
この研究が示しているのは、乳児が単に「目立つ行動」を記憶しているだけではない可能性です。
誰が誰に何をしたかという三者関係を整理し、そこから「この人はこういう存在かもしれない」と推測し、その推測を別の行動領域に広げる。
もしそうだとすれば、人間の社会的理解はかなり早い段階から「物語構造」を持っていることになります。
もちろん、この研究は注視時間という間接的な指標に基づいています。乳児が「道徳」を言語的に理解しているわけではありません。しかし、社会的役割の違いを区別し、そこから一貫性を期待する仕組みの萌芽が見えてきます。
残された問い
この研究は終わりではなく、出発点です。
・悪いと推測した人物は、すべての領域で悪いと一般化されるのか
・文化が違えば結果は変わるのか
・より複雑な社会状況ではどうなるのか
・この傾向はその後の発達でどう変化するのか
乳児はまだ言葉を持ちません。それでも、誰かが誰かを守る姿を見たとき、「この人は公平であってほしい」と無言の期待を抱いているのかもしれません。
社会性は、思っているよりも早く芽生えているのかもしれない。
しかしその芽は、生得的な仕組みだけでなく、経験の中で形を変えていく可能性もあります。
私たちの中にある「この人はどんな人か」という感覚。その遠い起点を、この研究は静かに照らしています。
(出典:communications psychology DOI: 10.1038/s44271-026-00417-8)

