心の不調は、ほんとうに個人の中だけにあるのか

この記事の読みどころ
  • 心の不調は体の中だけでなく、社会や世界とのつながりの乱れとして現れるとナガの人は考える。
  • 回復は治すことより、元の調和に戻す儀礼を通じた共同体の支えが重視される。
  • 伝統的な知識は失われつつあり、現代医学と対話しながら両方を聞くことの大切さを研究者は指摘する。

心の不調は「個人の中」にあるのか

私たちはふだん、心の不調をとても個人的なものとして考えがちです。
脳内の化学物質、ストレスへの耐性、性格傾向。そうした要因が組み合わさって起こる、と説明されることが多いからです。

しかし世界には、まったく異なる前提から心の不調を理解してきた社会があります。
インド北東部に暮らすナガの人びとです。

この研究を行ったのは、インドのCMR大学に所属する研究者たちです。
彼らは、ナガ社会における語りや民族誌的な知見をもとに、精神的な苦しみがどのように理解され、どのように癒やされてきたのかを丁寧に描き出しています。

心の不調は「世界との関係の乱れ」

ナガの人びとにとって、心の不調は脳や心の内部だけで完結する問題ではありません。
それは、霊的な世界、祖先との関係、家族や共同体とのつながりが乱れた結果として現れるものです。

魂が迷った、精霊の怒りに触れた、祖先との調和が崩れた。
こうした説明は、外から見ると「迷信」のように映るかもしれません。

しかし研究者たちは、これを非合理な考えとして切り捨てていません。
むしろ、長い歴史のなかで積み重ねられてきた経験にもとづく、一貫した世界理解の体系だと捉えています。

この枠組みでは、心の不調は「その人だけの問題」ではなく、社会や宇宙との関係が乱れたサインなのです。

治療ではなく「回復の儀礼」

ナガ社会における癒やしは、「治す」ことよりも「元の調和に戻す」ことを重視します。
シャーマンや伝統的な治療者は、単なる施術者ではありません。
精神的・道徳的な案内役として、儀礼を通じて人と世界を再び結び直します。

魂を呼び戻す儀式、霊を鎮める祈り、薬草と歌を組み合わせた実践。
それらは象徴的な行為でありながら、本人と共同体にとって意味のある「物語」を再構築する時間でもあります。

研究者たちは、こうした過程が、現代の心理療法における語り直しや感情の解放と通じる側面をもつことにも注目しています。

一人で治らないという発想

ナガ社会では、心の不調を抱えた人を孤立させません。
家族、氏族、村全体が関わり、長期的に支え続けます。

不調は共同体全体の問題であり、回復もまた共同体の仕事です。
この姿勢は、医療制度のなかで患者が孤立しがちな現代社会と対照的です。

孤独や断絶が世界的な健康問題となっている今、この「共に引き受ける」という発想は、別の可能性を示しているようにも見えます。

失われつつある知のかたち

研究は同時に、こうした伝統的な実践が急速に失われつつある現実も描いています。
西洋医学の普及や宗教的変化によって、儀礼は「時代遅れ」「異端的」と見なされることが増えました。

若い世代のなかには、かつての癒やしの方法をほとんど知らない人もいます。
研究者たちは、これは単なる文化変化ではなく、何世代にもわたって蓄積されてきた知の消失だと警告します。

問題は、伝統と現代医学のどちらが正しいか、ではありません。
対話の余地が閉ざされてしまうこと、そのものが危機なのです。

二つの世界をつなぐために

ナガの精神的世界観は、西洋的な精神医学を否定するものではありません。
むしろ、心の健康を生物学だけで語ることの限界を静かに問い直します。

心の不調は、化学反応だけの問題なのか。
それとも、人と人、人と世界の関係性のなかで生まれるものなのか。

この研究は、答えを一つに決めることを求めていません。
ただ、異なる知のあり方に耳を傾けることが、これからの心のケアに必要だと示しています。

医師の声と、伝統的な治療者の声。
そのどちらにも、聞く価値があるのかもしれません。

(出典:Frontiers in Sociology DOI: 10.3389/fsoc.2025.1644475

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