- FSMは意識を「コマ送りの絵」みたいな小さなフレームの連なりとして考え、各瞬間を脳や体・周りの状態のスナップショットとする。
- 「生きているフレーム」だけが意識を支えられ、死んだフレームは経験されないので、私たちは一本の連続した人生を感じる。
- 未来には多くの分岐があるが、意識は経験できるフレームだけを通して進むので、時間の流れが滑らかに感じられる。
なぜ私たちは「一つの人生」を生きていると感じるのか
――分岐する宇宙の中で意識が連続する仕組み
私たちは毎日、目を覚まし、昨日の続きとして今日を生きています。
記憶があり、身体があり、「自分は同じ自分だ」と感じながら時間を過ごします。
けれども、現代物理学、とくに量子力学の世界観では、世界は一瞬一瞬ごとに分岐している可能性があると考えられています。
もしそうだとすると、理論上は「無数の自分」が同時に存在していることになります。
それにもかかわらず、私たちが経験するのは、いつも「一本の人生」です。
同時にたくさんの自分を生きている感覚はありません。
この素朴でありながら根本的な疑問に対して、アリゾナ州立大学の研究者は、「意識がどのようにして連続して感じられるのか」を説明する理論モデルを提案しました。
その名前は、フレーム・サバイバル・モデル(Frame Survival Model:FSM)。
本記事では、このモデルが示す考え方を、専門用語をできるだけ避けながら、丁寧に読み解いていきます。
意識は「連続した映画」ではなく「連続したコマ」かもしれない
私たちはふつう、意識を「なめらかに流れ続けるもの」と感じています。
しかしFSMでは、意識は実は非常に細かい“コマ”の連なりとして存在していると考えます。
研究者は、この最小単位を**フレーム(ハイパーフレーム)**と呼びます。
フレームとは、
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その瞬間の脳や身体の状態
-
周囲の環境
-
記憶や感情を含む情報の配置
などをすべて含んだ、「その瞬間の世界のスナップショット」です。
映画が1秒間に何十枚もの静止画で構成されているように、
私たちの意識も、無数のフレームが高速で切り替わることで成り立っている、と考えます。
すべてのフレームが「意識を支えられる」わけではない
重要なのは、どのフレームでも意識が存在できるわけではないという点です。
FSMでは、各フレームは二種類に分けられます。
-
生きているフレーム
→ 意識を支えるだけの脳や情報構造が保たれている -
死んでいるフレーム
→ 意識を支える条件が失われている
ここでいう「死」とは、必ずしも心臓停止などの医学的死だけを指すわけではありません。
「その状態では、主観的な体験が成立しない」という意味です。
つまり、
意識は、「生きているフレーム」だけを通り抜けて進んでいく
というのがFSMの基本的な発想です。
意識は「生き残れる道」だけを経験する
量子力学的な視点では、世界は常に分岐し続けています。
ある瞬間の次の瞬間には、無数の可能な未来が生じます。
FSMでは、その中から
-
物理的に実現可能で
-
かつ意識を支えられる
フレームだけが、主観的に経験される候補になります。
もし次の瞬間に、
-
ほとんどの分岐では死亡する
-
ただ一つの分岐だけで生存する
という状況があった場合、外から見れば「ほぼ確実に死ぬ状況」でも、
内側から見れば「生きているフレームだけが続く」ことになります。
研究者はこれを、
意識は「生存可能なフレームの鎖」を通って進む
と表現します。
「死」は主観的には経験されない
FSMの大胆な結論の一つは次の点です。
死んでいるフレームは、主観的には決して経験されない。
理由は単純です。
死んでいるフレームでは意識が成立しないため、「そこにいる自分」を感じる主体が存在しないからです。
その結果、
-
外から見れば「その人は死亡した」
-
しかし本人の主観からは「意識が続くフレームしか経験されない」
という構造になります。
これは「人は不死になる」という主張ではありません。
あくまで、
主観的経験は、常に“意識が成立している側”にしか存在しない
という構造的な説明です。
連続性は「選ばれる」のではなく「フィルタリングされる」
FSMの特徴は、「意識が未来を選んでいる」とは考えない点です。
代わりに、
-
物理法則に従って無数の未来が生成され
-
その中から
-
意識が成立しないフレームが自動的に除外される
というフィルタリングが起きると考えます。
つまり、意識が何かを決めているのではなく、
意識が成立しない状態は、そもそも経験されない
という消極的な仕組みです。
なぜ日常は「なめらか」に感じられるのか
もし意識がコマ送りなら、本来はカクカクして感じられそうです。
FSMでは、フレーム同士の情報の似ている度合いが重要だとされます。
研究者はこれを**情報コヒーレンス(情報的一貫性)**と呼びます。
-
前のフレームと次のフレームがよく似ている
→ なめらかで連続した感覚 -
大きく異なる
→ 夢のように飛び飛び、断片的な感覚
集中しているとき、流れ作業をしているとき、ぼーっとしているとき、眠っているとき――
それぞれで「時間の感じ方」が違うのは、フレーム同士の似ている度合いが変化しているからだと説明されます。
主観的な時間の速さも変わる
FSMでは、「時間が流れる速さ」も固定ではありません。
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フレームの切り替わりが速い
→ 時間が速く感じられる、充実感 -
フレームの切り替わりが遅い
→ 時間が遅く感じられる、ぼんやり感
恐怖体験で時間が伸びたように感じること、
楽しい時間が一瞬で過ぎること、
こうした現象も、フレームの密度変化として説明されます。
このモデルが示す大きなメッセージ
この研究が伝えている核心は、次の点にあります。
-
私たちが「一つの人生」を生きていると感じるのは、偶然ではない
-
意識は、成立可能な状態だけを通り抜ける構造をもっている
-
連続性は「奇跡」ではなく「仕組み」で説明できる
言い換えれば、
私たちは特別に守られているから生きているのではなく、
生きている状態だけが経験として残る構造の中にいる
という見方です。
この理論は「安心」を与えるのか、「不安」を与えるのか
FSMは、慰めのための理論ではありません。
また、「死を恐れなくてよい」と安易に結論づけるものでもありません。
むしろ、
-
生きている今この瞬間が
-
意識が成立している貴重な状態である
という事実を、静かに突きつけます。
未来が保証されているわけではない。
しかし、経験できる未来は、必ず「生きている未来」だけである。
この二つが同時に成り立つ世界観です。
終わりに
私たちはなぜ「私」として目を覚ましているのか。
なぜ無数の可能性の中から、この一本の人生を歩いているのか。
FSMは、その問いに対して、
意識は、生きていられる状態だけを通って進む
というシンプルで、しかし深い答えを提示しています。
世界がどれほど分岐していようとも、
私たちが経験するのは、いつも「生きている今」です。
その事実そのものが、
すでに一つの不思議であり、現実なのかもしれません。
(出典:Philosophies)

