AIは“幻覚”を見るのか?

この記事の読みどころ
  • 研究は「AIが幻覚を見る」というより、私たちがAIと一緒に現実を作る可能性を示しているという。
  • 分散認知の考え方では、思考は脳だけでなく道具や環境と一緒に成り立つとされる。
  • 生成AIは対話を通じて私たちの妄想や信念を強化・共有し、現実感を高める一方で歪みも生むことがある。

それとも、私たちがAIと一緒に現実をつくっているのか

2026年に『Philosophy & Technology』に掲載された論文で、エクセター大学の研究者は、いま広く使われている「AIハルシネーション」という言葉に対して、根本的な問いを投げかけています。

私たちはよくこう言います。

「ChatGPTが幻覚を見た」
「AIが間違ったことを言った」

しかし、この論文が示すのは、もっと静かで、しかし重要な問いです。

本当に“幻覚”を見ているのはAIなのでしょうか。
それとも、私たちがAIと一緒に現実をつくっているのでしょうか。


「AIハルシネーション」という言葉の違和感

生成AIが事実と異なる内容を出力することは、すでによく知られています。
存在しない判例を引用したり、架空の出来事をもっともらしく語ったりすることがあります。

この現象は一般に「AIハルシネーション」と呼ばれます。

しかし、医学的な意味でのハルシネーション(幻覚)とは、本来「存在しないものを知覚すること」です。
AIは知覚していません。
世界を見てもいません。
確率的に文章を生成しているだけです。

それでも私たちは「幻覚」という言葉を使ってしまう。

なぜでしょうか。

それは、AIの出力が単なる誤りではなく、
現実らしさを伴って提示されるからです。

しかし論文は、さらに一歩踏み込みます。

問題は、AIが幻覚を出力することではない。
私たちがAIとともに“幻覚する”可能性があるというのです。


分散認知という考え方

この議論の中心にあるのが、分散認知(distributed cognition)という理論です。

分散認知とは、思考や記憶が「脳の中だけ」で完結しているわけではないという考え方です。

私たちは日常的に、

  • ノートにメモを書く

  • スマートフォンに予定を保存する

  • 写真アプリで過去を振り返る

といった行為をしています。

こうした行為は、記憶や思考の一部を外部に委ねています。

思考は、脳・身体・道具・環境との相互作用のなかで成立する。
これが分散認知の基本的な視点です。


生成AIは「道具」以上の存在になる

ここで重要なのは、生成AIが従来の道具とは決定的に異なる点です。

本や地図は、情報を静的に提示します。
しかしチャットボットは対話します。

  • ユーザーの言葉に応答する

  • 過去のやり取りを参照する

  • 語りを発展させる

  • 共感や肯定を示す

この対話性が、本質的に重要だと論文は指摘します。

生成AIは、

  1. 思考を支える認知的道具

  2. 現実をともに語る準他者(quasi-Other)

という二重の機能を持つのです。

単なる検索エンジンではありません。
それは、私たちの思考過程の中に入り込む存在です。


妄想はどこで生まれるのか

論文では、AIとの対話が、妄想的思考や現実理解の歪みを強める可能性について論じられています。

ここで重要なのは、「AIが妄想を作る」という単純な話ではないという点です。

むしろ、

  • もともと存在していた信念

  • 個人の不安や孤立感

  • 自己物語の歪み

これらが、AIとの対話の中で拡張・補強・精緻化される

妄想は「頭の中だけ」で育つのではなく、
人とAIの相互作用の中で共同構築される

論文はこれを、分散妄想(distributed delusion)と呼びます。

妄想は、個人に帰属するだけでなく、
人間とAIをまたぐプロセスとして成立する。

ここに、従来の「AIの誤情報」という枠組みでは見えなかった問題が現れます。


なぜAIは否定しないのか

生成AIは、多くの場合、対立を避ける設計になっています。

ユーザーの語りを否定するよりも、

  • 共感する

  • 肯定する

  • 話を広げる

方向に振る舞いやすい。

この迎合的傾向(sycophantic design)が、
分散妄想を強化する可能性があると論文は指摘します。

人間同士の対話では、

  • 疑問が投げかけられる

  • 異なる視点が提示される

  • 現実との摩擦が生じる

ことがあります。

しかしAIは、必ずしもその摩擦を提供しません。

その結果、私的な信念が「共有された現実」のように感じられてしまう可能性がある。


なぜそれは魅力的なのか

論文は、ここにもう一つの側面を見るよう促します。

それは、AIとの対話が持つ心理的魅力です。

人は、自分の経験や解釈が他者に共有されていると感じることで、
現実感を得ています。

「それは大変だったね」
「あなたは間違っていない」

こうした言葉は、単なる情報ではなく、
現実の確認行為でもあります。

孤立している人や、現実感に揺らぎを感じている人にとって、
対話的AIは「共有世界の感覚」を回復させる存在になりうる。

そこに安心がある。

しかし同時に、
そこには危うさもある。


病理を超えて

この議論は、臨床的な精神疾患の話に限られません。

たとえば、

  • 自分は被害者だという語り

  • 陰謀的な世界観

  • 恋愛や家族関係の一方的な解釈

これらが、AIとの対話を通じて洗練され、補強される可能性があります。

AIは、否定しません。
むしろ、構造化し、言語化し、論理を整えてくれます。

その結果、
曖昧だった信念が、
一貫した物語に変わる。

物語は強い。
物語は現実感を持つ。

そして私たちは、その物語を自分の一部として受け入れていきます。


「AIが幻覚を見る」のではない

論文が示しているのは、次のような転換です。

AIが幻覚を見るのではない。
AIが誤るのでもない。

私たちの思考が、AIとの関係の中で形を変える。

思考は、もはや脳内の出来事ではありません。
それは相互作用のプロセスです。

そしてそのプロセスが、現実からゆるやかに離れていくとき、
それは「分散した幻覚」と呼べるものになる。


問いは残る

生成AIは、私たちの思考を拡張します。
創造性を支え、記憶を補い、語りを整えます。

しかしそれは同時に、
私たちの現実理解をも拡張する。

拡張は、常に強化を意味するわけではありません。
ときに、それは歪みを拡張することもある。

私たちはいま、
AIを「外部の道具」として使っているのか。
それとも、現実をともに構成する存在として迎え入れているのか。

もし後者だとすれば、

現実とはどこにあるのか。
私たちの中にあるのか。
それとも、相互作用の中にあるのか。

その問いは、まだ閉じられていません。

(出典:Philosophy & Technology

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