- ワーキングメモリーには、今必要な情報と外された情報の二つの状態があり、外された情報が後で長期記憶に残ることがある。
- 注意をずっと向けていた情報より、いったん外に置かれた情報のほうが長期記憶に残りやすい場合があるという結果が示された。
- 記憶は努力だけで決まらず、情報の扱われ方や静かな時間を作ることにも意味があるかもしれない。
注意の外に追いやられた情報ほど、あとで残るのか
私たちは、何かを覚えようとするとき、「ちゃんと注意を向けたものほど記憶に残る」と考えがちです。
集中して読んだ文章、意識して覚えた数字、何度も繰り返した単語。そうしたものが、あとから思い出せる記憶になる、という感覚はとても自然です。
しかし、もしその直感とは逆に、「いったん注意の中心から外れた情報のほうが、あとになって強く残る場合がある」としたらどうでしょうか。
今回紹介する研究は、マックスプランク人間発達研究所(Max Planck Institute for Human Development)のAdaptive Memory and Decision Making研究グループ、ドレスデン工科大学(Technische Universität Dresden)の生物心理学講座、ベルリン工科大学(Technical University Berlin)の機械学習グループ、そして**ベルリン学習・データ基盤研究所(Berlin Institute for the Foundations of Learning and Data)**の研究者たちによって行われました。
この研究は、私たちが日常的に使っているワーキングメモリーと、より長期に情報を保存するロングタームメモリーの関係を、実験を通して詳しく調べています。
その場で使う記憶と、あとから使う記憶
私たちは会話をしたり、文章を読んだり、買い物リストを思い出したりするとき、頭の中で一時的に情報を保っています。
これがワーキングメモリーです。
一方で、数時間後、数日後、あるいはもっと先になってから思い出せる記憶は、ロングタームメモリーと呼ばれます。
従来は、ワーキングメモリーの中で注意を強く向けられた情報ほど、ロングタームメモリーにも残りやすいと考えられてきました。
つまり、「いま大事に扱っている情報」が、そのまま「将来も覚えている情報」になる、という考え方です。
ところが近年、ワーキングメモリーの中には、
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いま注意の焦点にある情報
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いったん焦点から外れたが、まだ保持されている情報
という、複数の状態がある可能性が示されてきました。
この研究は、特に後者、注意の外に置かれた情報が、ロングタームメモリーにどう影響するのかに注目しています。
研究者たちの問い
研究者たちが立てた中心的な問いは、とてもシンプルです。
ワーキングメモリーの中で、注意の外に追いやられた情報は、あとからの記憶にとって不利なのか。それとも、むしろ有利になることがあるのか。
もし有利になるなら、「覚えようと頑張っていない情報」が、思いがけず長く残る仕組みが存在することになります。
実験の基本的な構成
参加者は、画面に次々と提示される図形や色などの刺激を覚える課題を行いました。
実験の流れはおおむね次のようなものです。
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いくつかの刺激が提示される
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そのうちの一部について、「いま思い出すように」と指示される
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ほかの刺激は、その時点では必要とされない
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しばらくしてから、再び記憶テストが行われる
ここで重要なのは、途中で**「いま必要な情報」と「いまは必要でない情報」**が意図的に分けられている点です。
これにより、研究者たちは、
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ずっと注意を向けられていた情報
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途中で注意の外に置かれた情報
が、最終的にどれだけ覚えられているかを比較できるようにしました。
意外な結果
分析の結果、研究者たちは興味深いパターンを見いだしました。
ワーキングメモリーの中で注意の焦点から外れた情報のほうが、ロングタームメモリーでよく思い出される場合があったのです。
これは、「注意を向け続けたほうが有利」という直感と、必ずしも一致しません。
つまり、
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いま使っている情報
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いまは使っていないが、頭のどこかに残っている情報
では、後者のほうが、あとから思い出しやすくなることがある、ということです。
なぜそんなことが起こるのか
研究者たちは、この現象を次のように解釈しています。
注意の中心にある情報は、頻繁に更新され、書き換えられます。
一方、注意の外に置かれた情報は、比較的安定した形で保持される可能性があります。
その結果、
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何度も操作される情報 → 変化しやすい
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そっと置かれている情報 → 形が保たれやすい
という違いが生まれ、後者のほうがロングタームメモリーに移行しやすくなるのかもしれません。
「覚えようとしない」ことの価値
この研究は、記憶についての見方を少し変えます。
一生懸命に覚えようとすることが、必ずしも最善とは限らない。
ときには、いったん頭の片隅に置かれた情報のほうが、静かに定着する可能性がある。
勉強や仕事の場面でも、
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すべてを完璧に保持しようとする
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常に注意を張りつめる
ことが、かえって負担になる場合があります。
この研究は、「注意を緩める時間」や「情報を寝かせる時間」にも意味があるかもしれない、という示唆を与えています。
この研究の位置づけ
研究者たちは、この結果がワーキングメモリーとロングタームメモリーが独立した仕組みではなく、動的に影響し合っていることを示していると述べています。
ただし、この研究は実験室で行われた課題を用いたものであり、日常生活のすべての記憶場面にそのまま当てはまるわけではありません。
それでも、
「何を覚えようとしたか」だけでなく、
「その情報が、どのような状態で頭の中にあったか」
が、将来の記憶を左右する可能性があることを示した点で、重要な意味をもつ研究といえます。
記憶は、努力だけで決まらない
記憶は、「頑張った量」だけで決まるものではない。
頭の中での情報の置かれ方や扱われ方も、大きな役割を果たしている。
この研究は、そんな静かなメッセージを私たちに投げかけています。
忘れてしまったように思える情報が、実はどこかで、そっと残っているかもしれない。
そして、必要なときに、思いがけず顔を出す。
記憶とは、私たちが思っているよりも、ずっと奥深い仕組みなのかもしれません。
(出典:communications psychology DOI: 10.1038/s44271-026-00399-7)

