- 指導教員を信頼できるほど、研究への興味や「自分はやれる」という感覚、居場所や集中力、将来の見通しが高く保たれる。
- 信頼が高いと生活満足度が高くストレスが少なく燃え尽きも少ないが、病院受診回数などの行動健康指標との関連は必ずしも強くない。
- 信頼があると論文投稿や研究費応募が増え、挑戦するアイデアや前に進む感じが高まる。性別人種専攻による差は小さい。
指導教員を「信頼できるかどうか」は、博士課程の1年目を大きく左右する
博士課程は、専門家としての道を本格的に歩み始める重要な段階です。
同時に、多くの学生が強いストレスや不安、孤立感を経験しやすい時期でもあります。
近年、博士課程の高い中途退学率や、指導教員との関係悪化が問題として取り上げられてきました。
とくに、博士課程の多くは「徒弟制」に近い形で進むため、学生と指導教員の関係は、学びの中心に位置づけられます。
では、この関係性の中でも、**「指導教員を信頼できるかどうか」**は、学生のその後にどれほど影響するのでしょうか。
この問いに対し、アメリカの三つの研究大学で行われた大規模な縦断研究が、明確な答えを示しています。
558人の博士課程1年生を1年間追跡
研究チームは、博士課程に入学したばかりの学生558人を対象に、1年間にわたって繰り返し調査を行いました。
対象の多くは理工系分野の学生で、ペンシルベニア州立大学、スタンフォード大学、コロンビア大学に所属していました。
調査では、
・入学初期における「指導教員への信頼」
・学業への意欲
・心理的な健康状態
・研究や成果に関する指標
など、17種類のアウトカムが測定されました。
重要なのは、信頼を測る前の時点の状態も同時に測定し、もともとの個人差を統計的に調整している点です。
これにより、「最初から元気な学生が信頼しやすいだけ」という説明をできる限り排除しています。
ここでいう「指導教員への信頼」とは何か
研究で扱われている信頼は、単なる好感度ではありません。
以下のような要素を総合した指標です。
・指導教員が誠実であると感じる
・能力や専門性を信頼できる
・自分を尊重してくれていると感じる
・助言が役に立つと感じる
・関係に満足している
つまり、**「この人に任せても大丈夫だと思える感覚」**に近いものです。
信頼が高い学生ほど「やる気」が保たれる
博士課程1年目のあいだ、多くの学生で学業へのモチベーションは少しずつ低下していました。
それでも、指導教員への信頼が高い学生ほど、以下の点で良好な状態が保たれていました。
・研究分野への興味
・自分はやれるという感覚
・大学院に居場所があるという感覚
・集中力や自己コントロール
・将来の学術キャリアへの楽観性
信頼が高いほど、これらすべてが高い水準で維持されていたのです。
心理的な健康にもはっきりした差
信頼が高い学生は、
・生活満足度が高い
・心理的ストレスが少ない
・燃え尽き感が少ない
という傾向を示しました。
一方で、病院受診回数や欠席日数といった「行動面の健康指標」や、いわゆるインポスター感(自分は偽物だという感覚)については、信頼との明確な関連は見られませんでした。
つまり、心の状態には強く影響するが、すべての健康指標に影響するわけではないことが示されています。
研究成果や挑戦行動にも影響する
指導教員への信頼が高い学生ほど、
・論文を投稿する数が多い
・奨学金や研究費に応募する数が多い
・実際に採択される数も多い
・「面白い研究アイデア」を思いつく頻度が高い
・自分は前に進んでいるという達成感が高い
という結果が得られました。
博士課程1年目で論文が受理される学生は少ないため、受理数そのものとの関連は統計的に明確ではありませんでしたが、挑戦する行動そのものは明確に増えていました。
性別・人種・専攻分野に関係なく当てはまる
興味深いのは、この効果が、
・性別
・人種や民族
・社会経済的背景
・専攻分野
・指導教員との性別一致
といった要因によって大きく変わらなかった点です。
つまり、誰にとっても「信頼できる指導教員がいること」は同じくらい重要であることが示されています。
博士課程1年目は全体として「しんどくなる」
研究はもう一つ重要な事実を示しています。
平均的に見ると、博士課程1年目のあいだに、
・モチベーションは低下
・生活満足度は低下
・燃え尽きとストレスは上昇
していました。
博士課程は「やる気に満ちたスタート」を切る時期だと考えられがちですが、実際には最初の1年だけでも消耗が進むことが示されています。
その中で、信頼できる指導教員の存在が、緩衝材のような役割を果たしていると考えられます。
なぜ信頼がここまで効くのか
研究者たちは、信頼があることで、
・質問しやすくなる
・失敗を共有しやすくなる
・助言を前向きに受け取れる
・長期的な視点を持ちやすくなる
といった心理的環境が整うと考えています。
これは能力そのものを直接変えるというより、能力が発揮されやすい土壌をつくる働きだといえます。
この研究が投げかける静かなメッセージ
博士課程の成功は、
「才能があるか」
「努力できるか」
だけで決まるわけではありません。
「安心して頼れる大人がそばにいるか」
そのシンプルな条件が、1年目の経験を大きく分けている可能性が示されました。
博士課程のしんどさは、個人の弱さではなく、関係性の質によって左右される部分が大きい。
この研究は、そのことをデータによって示しています。
(出典:PNAS Nexus)

