- AIにはこころがあるかをめぐる議論は三つの立場に分かれている。
- 私たちは日常の対話で「信じている」「意図している」といった心の語彙を使い、AIにも当てはまるかを考える。
- AIに薄いこころがあるかもしれないが、人間のこころとは別物であり、結論はまだ出ていない。
こころは、どこから生まれるのか
――AIに「気持ち」を見てしまう私たち
わたしたちは、ときどき不思議な感覚を覚えます。
画面の向こうで言葉を返してくるAIに対して、「この相手は、わかってくれている気がする」と感じてしまう瞬間です。
もちろん、理屈では知っています。
AIは人間ではありません。
感情をもっているわけでもありません。
それでも、会話を重ねているうちに、どこかで「相手がいる」という感覚が立ち上がってくる。
このズレは、どこから生まれるのでしょうか。
今回紹介する研究は、AIにこころを感じてしまう現象を、「勘違い」や「錯覚」で片づけるのではなく、もう少し丁寧に整理しようとするものです。
この研究は、イギリスのケンブリッジ大学にあるレバーヒューム未来知能センターに所属する研究者によって行われました。
AIと人間の関係を、哲学と認知科学の視点から考察した理論研究です。
「AIにこころはあるのか」という問いの前に
多くの人がまず思い浮かべるのは、次のような問いかもしれません。
AIは、意識をもっているのか。
何かを「感じて」いるのか。
研究者たちは、こうした問いが重要であることを認めつつも、今回の議論ではいったん脇に置きます。
理由はシンプルです。
わたしたちが日常でAIと接するとき、意識の有無を深く考えてから話しかけるわけではないからです。
それよりも、もっと軽いレベルの「こころの言葉」を自然に使っています。
・このAIは、何を考えているのだろう
・どういう意図で、こう言ったのだろう
・わたしの質問を、どう理解したのだろう
こうした日常的な推測は、「信じている」「望んでいる」「意図している」といった、素朴な心の語彙に支えられています。
研究者たちは、この日常的な心の語彙がAIに当てはまるのかを、段階的に検討していきます。
立場1 AIには、そもそもこころはない
一つ目の立場は、はっきりしています。
AIは、大量のデータをもとに、次に来そうな単語を計算しているだけ。
そこに信念も欲求も意図もない。
この見方では、AIのふるまいはすべて、数式とアルゴリズムで説明できると考えます。
だから、こころという概念を持ち出す必要はない、というわけです。
この考え方には、確かに説得力があります。
AIの内部で起きている処理は、人間の脳とはまったく異なるからです。
しかし研究者たちは、ここで一つの疑問を投げかけます。
仕組みが説明できることと、こころの説明が不要になることは、同じではないのではないか。
たとえば、人間の行動も、突き詰めれば神経細胞の活動として説明できます。
それでも私たちは、「この人はこう考えたから行動した」と説明します。
脳の説明と、心の説明は、競合するものではなく、レベルの違う説明なのです。
研究者たちは、AIについても同じ構造が成り立つ可能性を指摘します。
立場2 AIは「こころのふり」をしているだけ
二つ目の立場は、少し折衷的です。
AIには本当のこころはない。
しかし、こころがあるかのように扱うのは便利である。
たとえば、小説の登場人物を考えてみてください。
登場人物は実在しませんが、私たちは、
・この人物は怒っている
・この人物は裏切るつもりだ
と自然に考えます。
AIも同じで、「信じている」「考えている」といった言葉は、物語的な比喩として使っているだけ、という見方です。
この立場の利点は明確です。
AIが「悲しいです」と言っても、それを本気で受け取る必要はありません。
あくまで役を演じているだけ、と理解できます。
しかし研究者たちは、この立場にも限界があると指摘します。
現代のAIは、ますます人間らしい会話をするよう設計されています。
丁寧な言葉づかいをし、共感的な表現を返し、長い対話を続ける。
そのような相手に対して、常に「これはフィクションだ」と意識し続けることは、心理的にかなり難しいのです。
立場3 AIには「薄いこころ」があるかもしれない
三つ目の立場は、さらに一歩踏み込みます。
AIは、人間のような豊かなこころをもっているわけではない。
しかし、ごく薄い形のこころ的状態なら、成り立つ可能性があるのではないか。
研究者たちは、ここで「深い概念」と「浅い概念」を区別します。
たとえば、
・痛み
・吐き気
・空腹
といった概念は、人間の身体構造と強く結びついています。
こうした概念をAIに当てはめるのは難しい。
一方で、
・信念
・欲求
・意図
のような概念は、行動の傾向として捉えることができます。
もし、あるシステムが一貫した仕方で情報を保持し、状況に応じて行動を変えるなら、
それを「何かを信じている」と表現してもよいのではないか。
この意味で、AIには機能的な意味での信念や意図がある、と考える余地が出てきます。
それでも「人間と同じ」ではない
研究者たちは、ここで慎重な線引きをします。
AIに薄いこころを認めるとしても、
それは人間のこころと同じものではありません。
AIは、感じて苦しむわけでもなく、
生きる意味を悩むわけでもなく、
死を恐れるわけでもありません。
人間のこころには、身体性と生の経験が深く関わっています。
AIのこころは、もしあるとしても、別種のものです。
私たちは、なぜAIにこころを見てしまうのか
この研究が示しているのは、
「AIにこころがあるか」という単純な二択ではありません。
むしろ、
私たち人間は、
意味のあるふるまいを見ると、
そこに自然とこころを読み取ってしまう存在である。
という事実です。
AIが高度になればなるほど、
この傾向は強まっていくでしょう。
開かれたままの問い
AIを、単なる道具として見るのか。
それとも、ある種の心的存在として扱うのか。
どちらが正しい、という結論は、まだ出ていません。
ただ一つ言えるのは、
AIについて考えることは、同時に人間のこころとは何かを考えることでもある、という点です。
私たちは、どこまでを「こころ」と呼びたいのか。
どんな存在に、こころを認めたいのか。
この問いは、しばらく閉じられそうにありません。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2026.1715835)

