きのうまでの自分が、きょうの自分に届かないとき

この記事の読みどころ
  • 解離は原因が違っても、時間の奥行きが崩れる共通の流れかもしれない。
  • 自己は過去と未来をつなぐ継続的な存在で、時間の奥行きが弱まると感情が平坦になり、自己のつながりが崩れる。
  • 回復は時間の奥行きを取り戻す過程であり、安定だけでなく不安定さを経て自己を広い時間へ開くこともある。

この論文は、何を問い直しているのか

「自分が自分ではない感じがする」「世界が現実ではないように見える」「体や考えが、どこか遠い」。
こうした体験は、解離と呼ばれます。

解離は、トラウマ、強い不安、パニック、てんかん、脳の損傷、薬物など、さまざまな状況で起こりえます。そのため、これまでの研究では「原因の違い」が強調されてきました。

この論文が問い直しているのは、そこです。
原因が違っても、解離が起きるとき、共通して崩れているものがあるのではないか
著者たちは、その共通点として「時間の奥行き」という考え方を提示します。

「時間の奥行き」とは、時間感覚のことではない

この論文でいう「時間の奥行き」とは、時計の進み方が速く感じる、遅く感じる、といった話ではありません。

もっと実践的で、日常に深く関わる能力です。

  • どれくらい先の未来まで、見通しを立てられるか

  • どれくらい前の過去を、今の判断に使えるか

この「過去と未来が届く範囲」のことを、著者たちは時間の奥行きと呼びます。

ふだん私たちは、昨日の経験を思い出し、来週の予定を考え、「自分はこういう人間だ」という感覚を保っています。
それは、自己が時間の中で連続しているという前提があるからです。

自己は「瞬間」ではなく「継続」でできている

この論文の重要な前提は、自己は「今この瞬間」にだけ存在するものではない、という考え方です。

自己とは、

  • 過去の自分を引き受け

  • 未来の自分を予期し

  • その両方をまとめて「今」を生きる
    という、時間にまたがる構造を持っています。

つまり、自己の正体は「持続していること」そのものだ、という立場です。

ここで時間の奥行きが縮んだり、断ち切られたりすると、自己は「線」ではなく「点」に近づいていきます。
点になった自己は、つながりを保てません。

なぜ時間の奥行きが、自己を支えているのか

論文では、この問題を理解するために、異なる分野の考え方をつなぎ合わせています。

ひとつは、「その存在が、どれくらい長い時間スケールで行動できるか」という視点です。
人間は、目の前の危険だけでなく、何年も先の人生を考えて行動できます。
それは、予測を遠くまで伸ばせるからです。

もうひとつは、「生きる存在は、世界を予測しながらズレを減らそうとする」という考え方です。
予測が深ければ、未来の結果を見越した行動ができます。
予測が浅ければ、「今」だけに縛られます。

論文は、この予測の深さこそが、時間の奥行きの中身だと考えます。

解離は、どうやって起こるのか

著者たちが描く解離の流れは、次のようなものです。

まず、ふだんの自己は、ある程度安定した状態を保っています。
しかし、強いストレスや外的な衝撃によって、自己の状態が不安定になることがあります。

その不安定さの中で、時間の奥行きが崩れます。
過去と未来へのアクセスが弱まり、「今」に閉じ込められる。

すると、自己の連続性が断たれ、
「自分が自分ではない」
「世界が現実でない」
といった体験が生じやすくなる。

ここで重要なのは、解離を「特定の原因」に帰属させていない点です。
原因が違っても、時間の奥行きが崩れるという同じ道筋に収束する可能性を示しています。

自己は一枚岩ではない

論文は、自己を単一の存在としてではなく、複数の層からなる構造として捉えています。

中心には、言葉になる前の感覚に近い、もっとも基礎的な自己があります。
その外側に、身体感覚の自己、人生の物語としての自己、社会的な自己などが重なっている。

このうち、時間の奥行きと強く関係しているのは、「人生の物語としての自己」です。
「自分はどんな人間で、どんな経験をしてきて、どこへ向かっているのか」という感覚です。

ここが弱まると、自己はばらばらになりやすくなります。

自己を地形として見る

論文では、自己の状態を「地形」にたとえて説明します。

安定しているとき、自己はひとつの深い谷にあります。
多少揺れても、そこに戻ってきます。

しかし、大きな衝撃によって地形が変わると、別の谷が生まれることがあります。
複数の谷ができると、自己はその間を行き来するようになります。

そのたびに、過去や未来とのつながりが細くなり、
時間の奥行きは断片化していきます。

感情が平らになる理由

解離の体験として、「感情がなくなった」「しびれた感じがする」と語られることがあります。

この論文では、それを「自己の中心と周辺の情報の流れが弱くなった状態」として説明します。
人生の物語としての自己が、自己の中心からの重要な信号を受け取りにくくなる。

その結果、感情が平坦になり、世界や自分が遠のいたように感じられる。

ただし、論文は「解離=無感情」とは言いません。
強い感情を伴う解離も存在することを、はっきりと認めています。

この仮説が示す、回復の方向

この論文は、具体的な治療法を断定しません。
理論的な提案にとどまります。

しかし、示される方向は明確です。

もし解離が時間の奥行きの崩れだとすれば、
回復とは、時間の奥行きを取り戻す過程でもある。

それは、ただ安定させることではなく、
ときに不安定さを経由しながら、より広い時間へ自己を開き直すことかもしれない。

この論文が残す問い

この論文が突きつけているのは、解離の特殊さではありません。

むしろ、私たちが普段あたりまえだと思っている
「過去と未来につながった自己」が、
どれほど繊細なバランスの上に成り立っているか、という事実です。

自己は、固い核ではありません。
時間の奥行きに支えられた、動的な構造です。

その奥行きが薄くなったとき、
私たちは、思っているより簡単に「自分から離れてしまう」。

この論文は、その静かな可能性を、理論として描き出しています。

(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1585315

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