- 人は新しい証拠を見ても考えを変えにくく、証拠が増えると対立が深まることがある。
- 確証バイアスはひとつの癖ではなく、情報源の選び方・解釈・記憶の偏りが組み合わさる「信念を守る仕組み」だ。
- 信念を変えるには、メタ認知・価値・勇気の三つがそろう必要があり、それを MVCモデルで説明している。
なぜ人は考えを変えるのが、これほど難しいのか
私たちはよく、「正しい情報を知れば、人は考えを改める」と考えます。
間違った意見や対立があるのは、情報が足りないからであり、より良い証拠が示されれば、自然と理解は一致していく。そうした前提は、直感的にはとても納得しやすいものです。
しかし現実を見渡すと、この考え方がうまく当てはまらない場面が数多くあります。
同じニュースを見ても、同じ出来事を目撃しても、人々はまったく異なる結論にたどり着きます。しかも、証拠が増えるほど、意見の隔たりが小さくなるどころか、かえって大きくなることさえあります。
この論文が出発点としているのは、まさにこの違和感です。
なぜ私たちは、事実が示されても、考えを変えられないのでしょうか。
情報が足りないわけではないという現実
従来、多くの議論では「意見の違い=情報の非対称性」と考えられてきました。
一方の人は正しい情報を持っており、もう一方は知らない、あるいは誤解している。だから情報を共有すれば、理解は揃うはずだ、という発想です。
しかし、社会心理学の研究は、この説明が不十分であることを示してきました。
人は情報を、空っぽの状態で受け取るわけではありません。すでに持っている信念、感情的なこだわり、自分が属している集団やアイデンティティと結びついた枠組みを通して、情報を解釈します。
その結果、証拠は「修正の材料」ではなく、「守りの道具」として使われることがあります。
事実そのものが、人を変えるのではなく、すでにある立場を補強するために使われてしまうのです。
確証バイアスは「一つの癖」ではない
この論文では、確証バイアスを単なる思考のミスや癖として扱いません。
確証バイアスとは、自分の考えを支持する情報を集め、反対の情報を軽視したり否定したりする傾向のことですが、それは一つの行動ではなく、いくつもの仕組みが組み合わさった「信念を守るシステム」だと説明されます。
第一に、人は自分の考えに合う情報源を選びがちです。
これによって、安心感や所属意識は保たれますが、異なる視点に触れる機会は減ります。
第二に、同じ証拠を見ても、人は自分に都合のよい解釈をします。
曖昧な情報ほど、その人の立場に合わせて意味づけされやすくなります。
第三に、記憶の段階でも偏りが生じます。
支持する情報は鮮明に覚え、反対の情報は忘れやすくなります。
これらが重なり合うことで、信念は非常に安定したものになります。
しかも本人にとっては、それが「偏り」だとは感じられません。自分は冷静に現実を見ている、と感じているのです。
なぜ証拠が対立を深めてしまうのか
もし問題が単なる情報不足であれば、証拠は人々を近づけるはずです。
ところが実際には、証拠に触れることで意見の対立が深まる現象が確認されています。
自分の立場を支持する証拠は「強くて客観的だ」と評価され、反対の証拠は「弱い」「偏っている」と厳しく批判されます。このような評価の仕方が積み重なると、同じ情報を見ているにもかかわらず、人々はますます離れていきます。
ここで重要なのは、証拠そのものではなく、「証拠がどう扱われるか」です。
この論文は、証拠が人の考えを変えるためには、ある種の内的な条件が必要だと主張します。
考えを変えることは「能力」でもある
この論文が提示する核心的な考え方は、信念の修正を「能力にもとづく達成」として捉える視点です。
考えを変えることは、単に情報を受け取る出来事ではなく、いくつかの内的な力がそろって初めて可能になる行為だとされます。
著者は、そのために必要な三つの能力を整理し、MVCモデルとして提示します。
MVCモデルとは何か
― メタ認知・価値・勇気 ―
MVCモデルは、次の三つの要素から成り立ちます。
一つ目はメタ認知。
二つ目は価値。
三つ目は勇気です。
この三つは足し算ではなく、掛け算の関係にあるとされます。
どれか一つが欠けると、信念の修正は起こりにくくなります。
メタ認知
― 自分の考えを「考え」として見る力 ―
メタ認知とは、自分の思考や判断のあり方を一歩引いた位置から観察する力です。
自分の考えを、そのまま現実だと感じるのではなく、「これは自分の解釈だ」と捉え直す能力とも言えます。
この力がない場合、人は自分の偏りに気づくことができません。
どれほど歪んだ解釈であっても、それは本人にとって「世界そのもの」に見えてしまいます。
メタ認知が働くと、信念と自分自身の間に距離が生まれます。
その距離があって初めて、「もしかしたら自分は間違っているかもしれない」と考える余地が生まれます。
価値
― 正しさを選びたいと思える理由 ―
しかし、偏りに気づくだけでは十分ではありません。
自分の考えが歪んでいると分かっていても、修正しない人は少なくありません。
そこで重要になるのが価値です。
この論文では、価値を二つの側面から捉えています。
一つは、真実や知恵を大切にする価値。
もう一つは、思いやりや人間の尊厳を重んじる価値です。
正しさだけを追い求める姿勢は、時に冷酷さや分断を生みます。
一方で、思いやりだけでは、事実から目を背けてしまうこともあります。
信念の修正が社会的に意味を持つためには、この二つが同時に支えとなる必要があると論文は述べます。
勇気
― 分かっていても変えられない壁を越える力 ―
たとえ自分の誤りに気づき、修正する価値を認めていても、それを実行するのは簡単ではありません。
考えを変えることは、恥を認めること、立場を失うこと、仲間から浮くことにつながる場合があります。
その最後の壁を越えるために必要なのが勇気です。
ここで言う勇気とは、恐れがないことではありません。恐れがあっても、それを引き受けて行動する力です。
多くの人は、内心では考えを修正していても、公には以前の立場を保ち続けます。
勇気は、内面の理解を、言葉や行動として表に出すための力だと説明されます。
三つがそろって初めて、信念は動く
この論文が強調するのは、三つの要素の相互作用です。
メタ認知がなければ、歪みに気づけません。
価値がなければ、修正する動機が生まれません。
勇気がなければ、理解は内面に留まります。
信念の修正とは、この三つがそろったときに起こる、きわめて負荷の高い行為なのです。
この研究が示している、静かな結論
この論文が最終的に伝えているのは、誤情報や分断への対策は、事実を並べることだけでは不十分だという点です。
必要なのは、人が自分の考えを見つめ直し、正しさと人間性の両方を大切にし、代償を引き受けてでも修正できるようになることです。
考えを変えることは、弱さではありません。
それは、高度な能力と成熟を要する行為です。
私たちが本当に問い直すべきなのは、「誰が正しいか」ではなく、
「なぜ、正しさにたどり着くことが、これほど難しいのか」という問いなのかもしれません。
(出典:PhilArchive)

