- 学習中のサイバースラックは、環境と心理の組み合わせがきっかけで始まることが多い。
- デバイスは学習道具である一方、誘惑を続けさせる仕組みや疲労で維持されやすい。
- この現象は悪としてだけではなく、学習環境の工夫が必要な「適応の一つ」として捉えられている。
医学生のサイバースラック行動が示す、注意と動機の変化
授業中や勉強中に、ほんの一瞬だけスマートフォンを確認する。
通知を見て、短い動画を一本だけ再生して、すぐに戻るつもりだった。
しかし気づけば、数分、あるいはそれ以上の時間が過ぎている。
そしてその行動は、次第に「特別なこと」ではなく、「いつものこと」になっていく。
中国の医科大学を対象に行われたこの研究は、こうした学習中のデジタル逸脱行動を「学術的サイバースラック(Academic Cyberslacking)」として捉え、それがどのように始まり、どのように維持され、どのような影響を残すのかを、医学生自身の語りから丁寧に描き出しています。
この研究が示しているのは、サイバースラックが単なる「怠け」や「自己管理の失敗」ではなく、現代のデジタル学習環境における行動の適応過程として理解できる、という視点です。
学習中のサイバースラックは、どのように始まるのか
研究ではまず、医学生のサイバースラックが生じる「きっかけ」の段階が整理されています。
ここで浮かび上がるのは、個人の弱さというよりも、学習環境と心理状態の組み合わせです。
自律感の欠如という出発点
医学生の学習は、時間割も内容も高度に管理されています。
試験、臨床実習、評価基準。自分で選べる余地は限られています。
研究参加者の多くは、「集中しようとしても、いつの間にかスマホを見ている」と語っています。
これは意志が弱いというより、「自分で学習をコントロールしている感覚」が薄れたときに、
小さな自由を取り戻す行動として、デジタルへ手が伸びている様子として描かれています。
心理的・身体的な補償としてのデジタル利用
医学生は慢性的な疲労と緊張の中にいます。
試験後、実習後、長時間の学習後に、短い動画やSNSに触れることは、一時的な「回復」として機能します。
研究では、こうした行動が
・ストレスから目を逸らすため
・疲労感をごまかすため
に用いられていることが示されています。
ただし、その回復は長続きしません。
むしろ睡眠の質を下げ、翌日の集中力をさらに奪う循環に入っていく例も語られています。
周囲を見て学ぶ「普通化」
もう一つ重要なのが、周囲の学生の行動です。
最初は「授業中にスマホを見るのはよくない」と感じていた学生も、
教室のあちこちで同じ行動が見られるうちに、それを「許容されていること」として受け取るようになります。
研究では、この過程が
規範の解体(Norm deconstruction)
として整理されています。
かつては集中が前提だった学習空間が、
「学習しながら、別のこともしていい場所」へと静かに変わっていく様子が描かれています。
なぜサイバースラックは続いてしまうのか
一度始まったサイバースラックは、多くの場合、自然に消えていくことはありません。
研究は、その「維持」の段階に、テクノロジー特有の仕組みが深く関わっていることを示しています。
アルゴリズムによる引き止め
学生たちは、最初から娯楽目的でデジタルに触れているわけではありません。
医学的な動画や資料を探しているうちに、
関連性の薄い、しかし魅力的なコンテンツが次々に提示されます。
レコメンド機能は、
「もう一本だけ」
を自然に引き出し、予定していた短い休憩を長引かせます。
この過程で、サイバースラックは意図された行動から、自動化された行動へと変わっていきます。
デバイスが常にそばにあるという状態
学習そのものがデジタル化されているため、
スマートフォンやタブレットを遠ざけることは現実的ではありません。
研究参加者は、
「そこにあるだけで、つい触ってしまう」
という感覚を繰り返し語っています。
デバイスは、学習の道具であると同時に、逸脱への入口にもなっているのです。
疲労による自己制御の低下
長時間の学習や実習は、判断力そのものを消耗させます。
その結果、「今はやめておこう」と自分を止める力が弱まります。
研究では、
認知的負荷が高まるほど、
低努力で快楽的な刺激に流れやすくなる様子が描かれています。
こうして、
疲労 → デジタル逃避 → さらなる疲労
というループが形成されます。
続いた先に起こる変化
サイバースラックが長期化すると、学生の内側では、静かな変化が起こります。
学習への動機がすり減っていく
多くの学生が語ったのは、
「最初は医学を学ぶことに意味を感じていたが、次第にただ耐えるだけになった」
という感覚です。
学習の成果はすぐには現れません。
一方、デジタルの世界では、反応や刺激が即座に返ってきます。
研究では、この報酬の時間差が、
学習への意欲を徐々に侵食していく様子が示されています。
情報過多と集中の断片化
医学生が扱う情報量は膨大です。
ガイドライン、症例、専門用語。
そこに頻繁な通知や切り替えが加わることで、
思考は細切れになり、深く考える感覚が保ちにくくなります。
参加者の中には、
同じ内容を何度も読み直さなければ理解できなくなった
と語る人もいました。
それでも、すべてが否定されているわけではない
この研究が興味深いのは、
サイバースラックを一律に「悪」として終わらせていない点です。
選択的なサイバースラック
一部の学生は、
短時間・意図的にデジタルから刺激を得て、
再び学習に戻る方法を身につけていました。
完全に排除するのではなく、
境界を引くことで、疲労を調整しているのです。
補償的な学習の再構築
また、
一度失った時間を、録画講義や要約ツールで補うなど、
デジタルを学習の回復手段として使う学生もいました。
ここでは、デジタルは敵ではなく、
学習を立て直すための資源として扱われています。
サイバースラックは「問題」なのか、「適応」なのか
この研究が最終的に示しているのは、
学術的サイバースラックが、
・個人の怠慢
・単なる依存
として片づけられる現象ではない、ということです。
それは、
高負荷・高デジタル化された学習環境の中で、
学生が注意、疲労、動機を調整しようとする行動のかたちでもあります。
だからこそ、
禁止や自己責任だけでは、うまく扱えない。
学習の設計、負荷の配分、デジタルとの距離の取り方。
そうした環境側の工夫とともに考える必要がある現象として、
この研究はサイバースラックを静かに位置づけています。
結論を急がず、
「なぜ、そうせざるを得なかったのか」を問い直す。
その視点そのものが、
現代の学習環境を考えるうえでの、重要な手がかりなのかもしれません。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1592370)

