- エンパワリング・リーダーシップは部下に裁量を与え、役割の境界を広げる行為として捉えられることがある
- 正当でない仕事は、仕事内容そのものではなく、役割の境界をどう感じるかで決まる
- 促進焦点の人は情熱を感じやすく、予防焦点の人はストレスを感じやすい
仕事の中で、「それは自分の役割ではないのではないか」と感じる瞬間は、決して珍しくありません。
頼まれた業務が、意味のない雑務に思えたり、自分の専門性や立場と噛み合わないと感じたりすることがあります。
この論文が注目するのは、そうした感覚がどこから生まれるのか、そしてリーダーの関わり方がその感じ方をどう変えるのか、という点です。
特に焦点が当てられているのが、エンパワリング・リーダーシップと呼ばれるリーダーシップのあり方です。
エンパワリング・リーダーシップとは、部下に裁量や権限を与え、自律的に仕事を進めることを促す関わり方を指します。
一見すると、前向きで理想的なリーダー像に思えますが、この研究は、そこに両刃の剣のような側面があることを示しています。
「正当でない仕事」は、仕事そのものでは決まらない
この研究が扱う中心的な概念は、**正当でない仕事(イリジティメット・タスク)**です。
これは、仕事内容そのものが違法であるとか、不正であるという意味ではありません。
ここでいう正当でない仕事とは、
「自分の専門的役割や立場から見て、やるべきではない」
「なぜ自分がやらなければならないのかわからない」
と感じられる仕事のことです。
重要なのは、こうした判断が客観的に決まるものではないという点です。
同じ仕事であっても、ある人にとっては納得できる役割の一部であり、別の人にとっては越えてはならない境界線の外側にあると感じられることがあります。
研究者たちは、この違いを「役割の境界」という視点から捉えています。
リーダーは、役割の境界線を書き換えている
組織の中で、個人の役割は固定されたものではありません。
上司や組織からの期待、指示、裁量の与え方によって、役割の範囲は少しずつ書き換えられていきます。
この論文では、エンパワリング・リーダーシップを
役割の境界を再定義する行為
として捉えています。
裁量を与える、意思決定に参加させる、新しい責任を任せる。
これらはすべて、「あなたの役割はここまでです」という線を、外側へと広げる働きを持ちます。
問題は、その広がりが、本人にとって
「成長の余地」として感じられるのか、
それとも
「押しつけられた負担」として感じられるのか、
という点です。
二つの道:情熱が生まれるとき、ストレスが生まれるとき
研究チームは、エンパワリング・リーダーシップが、二つの異なる心理的な経路を通って、正当でない仕事の感じ方に影響すると考えました。
ひとつ目は、仕事への情熱が高まる道です
裁量や信頼を与えられることで、
「自分は期待されている」
「この仕事は意味がある」
と感じる人もいます。
そうしたとき、仕事は自分の価値観や自己像と結びつき、調和的な仕事への情熱が育ちます。
情熱が高まると、新しい業務や責任も、「自分の役割の延長」として受け止めやすくなります。
その結果、本来なら違和感を覚えそうな仕事であっても、
「やる意味がある」
「自分の成長につながる」
と解釈され、正当でない仕事とは感じにくくなります。
もうひとつは、役割ストレスが高まる道です
一方で、権限や責任の拡大は、必ずしも前向きに受け取られるとは限りません。
役割が曖昧になる、仕事量が増える、優先順位が衝突する。
こうした状況は、役割ストレスを生み出します。
ストレスが高まると、人は自分のエネルギーを守ろうとします。
その結果、追加された仕事を
「自分の役割を越えている」
「本来やるべき仕事ではない」
と切り離して捉えやすくなります。
このとき、エンパワリング・リーダーシップは、善意であっても、正当でない仕事の感覚を強めてしまうのです。
同じリーダーシップでも、感じ方が分かれる理由
では、なぜ同じエンパワリング・リーダーシップが、ある人には情熱を、別の人にはストレスをもたらすのでしょうか。
この研究は、その鍵として制御焦点という個人差に注目しています。
成長を向く人と、失敗を避ける人
制御焦点には、大きく分けて二つの傾向があります。
ひとつは、成長や達成に意識が向きやすい促進焦点です。
このタイプの人は、新しい役割や責任を、チャンスとして捉えやすい傾向があります。
もうひとつは、失敗や義務、リスク回避に意識が向きやすい予防焦点です。
このタイプの人は、役割の拡張に伴う不確実性や負担に敏感になりやすい傾向があります。
研究の結果、促進焦点が強い人ほど、エンパワリング・リーダーシップによって仕事への情熱が高まりやすく、
予防焦点が強い人ほど、同じリーダーシップによって役割ストレスが高まりやすいことが示されました。
「任せること」は、提案であって、決定ではない
この研究が示しているのは、エンパワリング・リーダーシップは、単に良いか悪いかで判断できるものではない、という点です。
リーダーが裁量を与える行為は、
「あなたの役割は、ここまで広げられるかもしれない」
という提案に近いものです。
その提案を、
「成長への招待」と受け取るか、
「越境への強制」と受け取るかは、
受け手の心理状態や価値観によって変わります。
正当でない仕事の感覚は、仕事の中身そのものではなく、
役割の境界がどう書き換えられたと感じたか
から生まれているのです。
境界線は、静かに交渉されている
この論文は、職場で起きている見えにくい交渉を浮かび上がらせています。
それは、役割の境界線をめぐる、静かなやりとりです。
任せることが、支えになることもある。
同時に、負担になることもある。
その分かれ目は、リーダーの意図だけで決まるのではありません。
受け取る側の視点と、そのときの心理的余裕によって、同じ行為の意味は反転します。
仕事が「自分のもの」であり続けるために、
どこまでが自分の役割なのか。
その境界線は、今日もまた、少しずつ引き直されています。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1702471)

