- 日常の規範は見えないが、世界中で「迷惑か」「下品か」「意味がないか」という判断は結構共有されている。
- 個人を重視する道徳が強い社会ほど自由は認められやすい一方、他人に迷惑をかけることには厳しくなる傾向がある。
- 約20年前より全体として規篎は緩やかになったが、迷惑や下品さは厳しく評価されやすく、意味がないと感じる行動には特に厳しくなることが多い。
見えないルールとしての日常の規範
私たちは日々の生活の中で、ほとんど意識することなく「これはしてもよい」「これは控えるべきだ」という判断を繰り返しています。図書館で大声で笑うこと、職場でスマートフォンを使うこと、葬儀の場で泣くこと。こうした行動の一つひとつには、明文化されていない「日常の規範」が存在しています。本研究は、この日常的な規範が、社会や文化によってどのように異なり、さらに過去20年の間にどのように変化してきたのかを、世界規模のデータを用いて明らかにしました。
世界規模で測られた「ありふれた行動」
この研究を行ったのは、グローバル・ソーシャル・ノームズ研究ネットワークに参加する研究者たちです。調査は90の社会、約2万5千人を対象に行われ、15種類の行動と10種類の状況を組み合わせた150の「ありふれた行動場面」について、「どれくらい適切だと思うか」が評価されました。さらに、約20年前に行われた同様の国際調査のデータとも比較され、日常の規範が時間とともにどう変わったのかも検討されています。
なぜ社会によって許され方が違うのか
研究の出発点にある問いは、非常に素朴でありながら重要です。なぜ同じ行動でも、ある社会では許容され、別の社会では眉をひそめられるのでしょうか。そして、その違いは何によって説明できるのでしょうか。研究者たちは、この問いに答える鍵として、「個人を重視する道徳」と「集団を重視する道徳」という一つの軸に注目しました。
個人を重視する道徳と集団を重視する道徳
ここでいう「個人を重視する道徳」とは、個人の自由や他者への配慮を重んじる価値観です。一方、「集団を重視する道徳」とは、伝統、秩序、清らかさ、集団のまとまりを守ることを重視する価値観を指します。研究者たちは、社会ごとに、この二つの価値観のどちらがより優先されているかを測定し、それを「個人主義的な道徳」の強さとして捉えました。
行動が問題になる三つの理由
この枠組みを用いることで、日常の規範に関する三つの重要な視点が浮かび上がります。一つ目は「他人に迷惑をかけるかどうか」という配慮の問題です。例えば、静かな場所で大声で話すことは、他者に不利益を与える行動として捉えられやすいでしょう。二つ目は「下品・不潔と感じられるかどうか」という感覚です。これは直接的な害がなくても、不快感や不適切さを呼び起こす行動に関わります。三つ目は「意味がない、場にそぐわないと感じられるかどうか」です。映画館で新聞を読む行為のように、害はなくても「なぜ今それをするのか」と疑問を持たれる行動がこれにあたります。
驚くほど共有されていた判断基準
興味深いのは、こうした「どの行動が迷惑か、下品か、意味がないか」という判断そのものについては、世界中で驚くほど一致していた点です。つまり、文化が違っても、「何が問題になりやすい行動か」についての感覚はかなり共有されているのです。違いが生まれるのは、それらの問題をどれだけ重く受け止めるか、という部分でした。
自由には寛容で、迷惑には厳しい社会
分析の結果、個人主義的な道徳が強い社会ほど、全体として日常の規範は緩やかであることが示されました。多くの行動が「まあ許される」と評価されやすいのです。しかし同時に、他人に迷惑をかける行動については、より厳しく評価される傾向も明確に見られました。自由は尊重される一方で、他者への配慮には敏感になる、という特徴が浮かび上がります。
下品さには寛容、意味のなさには不寛容
一方で、下品と感じられる行動については、個人主義的な社会ほど寛容になる傾向がありました。これは、清らかさや伝統を守る価値が相対的に重視されにくくなるためだと解釈されています。つまり、「誰にも迷惑をかけていないなら、多少行儀が悪くても構わない」という判断がしやすくなるのです。
さらに、「意味がない」「場違いだ」と感じられる行動については、個人主義的な社会ほど厳しく評価される傾向がありました。研究者たちはこれを、「よくあることは正しい」という直感が強く働くためだと説明しています。珍しい行動や奇妙な行動は、それだけで不適切だと感じられやすくなるのです。
日常の規範は20年でどう変わったのか
この研究のもう一つの大きな成果は、日常の規範が時間とともにどう変化してきたかを示した点です。約20年前と比べると、世界全体としては、日常の規範はわずかに寛容になっていました。音楽を聴く、食事をする、泣くといった行動は、以前よりも許されやすくなっています。
すべてが緩んだわけではない
しかし同時に、すべてが一様に緩くなったわけではありません。他人に迷惑をかける行動や、下品と受け取られやすい行動については、むしろ以前より厳しく評価される傾向も見られました。特に、口論や露骨なふるまいに対する評価は、多くの社会で下がっています。
自由と配慮が同時に強まるという変化
この結果は一見すると矛盾しているようにも見えます。自由や個人の選択が重視されるなら、下品な行動もより許されそうだからです。しかし研究者たちは、ここに「他者を傷つけないこと」への感受性の高まりが関係している可能性を指摘しています。下品な行動は、直接的な害がなくても、他人を不快にさせるという意味で「間接的な害」と捉えられるようになってきたのかもしれません。
社会が変わっても、感覚は大きく変わらない
全体として、この研究が示しているのは、日常の規範が決してバラバラに存在しているわけではない、ということです。世界中の人々は、何が問題になりやすい行動なのかについて、かなり共通した理解を持っています。その上で、どの価値を重視するかによって、規範の厳しさや緩やかさが調整されているのです。
別の社会に移ったときに起こること
もし私たちが別の社会に移り住んだとき、「これは大丈夫だろうか」と迷う場面に出会ったとしても、多くの場合、その直感は出身社会と大きくは変わらないでしょう。ただし、より個人主義的でない社会では、全体として規範がやや厳しく感じられるかもしれません。一方で、迷惑をかける行動については、どの社会でも慎重である必要があることも、この研究は示しています。
見えないルールを理解するということ
日常の規範は、目に見えず、普段は意識されにくいものです。しかし、それらは確かに変化し、文化や価値観と結びつきながら、私たちの行動を形づくっています。本研究は、その「見えないルール」に、世界規模のデータと一つのシンプルな視点から光を当てたものだと言えるでしょう。
(出典:communications psychology DOI: 10.1038/s44271-025-00324-4)

