- 超常信念と陰謀論は似ているが、心の働き方は違うことが分かった。
- 超常信念は人生の意味や社会への帰属意識と関係する一方、陰謀論は意味の感覚と直結しにくい。
- 対処のしかたと組み合わせ方で、意味づくりやウェルビーイングへの影響が変わる。
科学では説明しきれないものを、人はなぜ信じるのか
私たちは日常の中で、ときどき科学だけでは説明しきれない出来事に出会います。偶然とは思えない一致、不思議な予感、理由はわからないけれど「そう感じてしまう」感覚です。一方で、社会の出来事について「裏で誰かが操っているのではないか」と疑う考え方も、決して珍しいものではありません。超常的な信念と陰謀論は、どちらも科学的な根拠が乏しいとされながら、多くの人に共有されています。
これらはしばしば同じ種類の信念としてまとめて語られますが、本当に同じ心理的役割を果たしているのでしょうか。今回紹介する研究は、この問いを丁寧に検証しています。
研究の目的は「信じること」とウェルビーイングの関係を見分けること
この研究を行ったのは、イギリスとスペインの大学に所属する心理学研究チームです。研究者たちは、超常信念と陰謀論的信念が、人のウェルビーイング、つまり人生に意味を感じ、社会の中で自分の居場所を実感できているかどうかと、どのように関係しているのかを明らかにしようとしました。
これまでの研究では、両者が強く関連していることは繰り返し示されてきました。しかし多くは一時点での調査にとどまり、「時間の中で、どのような影響が積み重なっていくのか」は十分に検討されていませんでした。
3回に分けて人の心の変化を追った調査
この研究の特徴は、同じ参加者を3か月おきに3回調査するという縦断的なデザインにあります。最初の調査では、超常信念と陰謀論的信念の強さを測定しました。次の調査では、楽観的か悲観的かという見通しの持ち方や、困難への対処のしかたを測りました。そして最後の調査では、人生の意味をどの程度感じているか、社会への帰属意識をどれほど持っているかを評価しました。
この方法によって、「信念 → 対処のしかた → ウェルビーイング」という流れを時間的に検討することが可能になりました。
超常信念と陰謀論は、やはり強く結びついていた
分析の結果、超常信念と陰謀論的信念は強く相関していることが確認されました。不思議な力や出来事を信じやすい人ほど、陰謀論にも共感しやすい傾向があったのです。この点は、過去の多くの研究と一致しています。
この結果だけを見ると、両者は同じ心理的特徴の表れだと考えたくなります。しかし、ここから先の結果が、この研究の核心でした。
人生の意味との関係で見えてきた決定的な違い
研究者たちは、人生の意味を二つの側面に分けて捉えました。一つは「すでに人生に意味を感じているか」という側面、もう一つは「意味を探し求めている状態」です。
その結果、超常信念は時間の経過とともに「人生に意味があると感じている度合い」を高める方向に働いていました。一方で、陰謀論的信念は、人生の意味を感じているかどうかとは直接結びついていませんでした。
つまり、超常信念は、少なくとも一部の人にとっては、人生に意味を与える方向に機能していたのです。
社会とのつながりという視点
社会への帰属意識、つまり「自分はこの社会の一員だと感じているか」という感覚についても違いが見られました。超常信念は、この社会的アイデンティティを高める方向に関連していました。
陰謀論的信念も社会的アイデンティティとは関連していましたが、その結びつき方は異なっていました。後述するように、その背景には対処のしかたの違いが関係していました。
困難への向き合い方が分かれ道になる
研究では、ストレスや問題に直面したときの対処のしかたが重要な役割を果たしていました。一つは、問題に向き合い解決しようとする「積極的な対処」です。もう一つは、現実から目をそらしたり、考えないようにしたりする「回避的な対処」です。
超常信念は、この両方と関係していました。楽観的な見通しや積極的な対処と結びつくことで、人生の意味を感じやすくなる側面があった一方で、回避的な対処とも結びついていました。
「意味を探すこと」と回避の微妙な関係
興味深いのは、回避的な対処が必ずしも否定的な結果だけをもたらしていなかった点です。超常信念を持つ人の場合、回避的な対処は「人生の意味を探すこと」を強めていました。
これは、現実の不安や不確実性から一時的に距離を取りつつ、別の枠組みの中で意味を見出そうとする働きとして理解できます。超常的な説明は、完全な解決ではなくても、「わからなさ」に耐えるための足場になることがあるのです。
陰謀論がもたらしていたもの
一方で、陰謀論的信念は、主に回避的な対処と結びついていました。楽観性や積極的な対処とは関連せず、人生に意味があるという感覚を高めることもありませんでした。
陰謀論は、不安や脅威を説明する物語を与える一方で、それを乗り越える方向には働きにくいことが、この結果から示唆されます。世界は危険で、操作されており、自分ではどうにもならない、という見方を補強するからです。
同じ「非科学的信念」でも、心への作用は異なる
この研究が示した最も重要な点は、超常信念と陰謀論を一括りにすることの危うさです。両者は確かに似た心理的特徴を共有していますが、ウェルビーイングとの関係は大きく異なっていました。
超常信念は、回避的で受動的な側面を持ちながらも、同時に楽観性や積極性と結びつき、人生の意味や社会的つながりを支える可能性がありました。陰謀論には、そのような二面性は見られませんでした。
信じることは弱さなのか、それとも適応なのか
この研究は、信念を単純に「合理的か非合理的か」で評価する視点に問いを投げかけています。人は不確実な世界の中で、不安に耐え、意味を見出しながら生きています。その過程で、科学的に正しいかどうかとは別の次元で、心を支える信念が生まれることがあります。
超常信念は、必ずしも現実逃避だけではなく、人生を理解し、前に進むための一つの心理的資源として機能する場合がある。その一方で、陰謀論は不安を固定化し、視野を狭めてしまう可能性が高い。
結論を閉じないために
この研究は、信念の「内容」ではなく、「どのように心の中で使われているか」を見ることの重要性を示しています。信じることが、意味や希望につながるのか、それとも恐れや分断を深めるのか。その違いは、信念そのもの以上に、私たちの向き合い方にあるのかもしれません。
超常信念と陰謀論は、似ているようで、同じではありません。その違いを見つめることは、私たち自身の不安や希望のあり方を見直すことにもつながっていきます。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1519223)

