- 迷信的儀式は運を整えるよりも、自信を高めたり不安を減らしたり、心をコントロールしていると感じさせる心理的効果だと分かった。
- これらは競技の直前の短い動作として現れ、長時間かかることはなく、当日で短時間に終わることが多い。
- 偶然の成功から生まれる場合と、周囲の人から引き継がれる場合の二つの生まれ方があり、競技の種類で意味づけが変わる。
なぜ人は、勝敗に関係ない行動をやめられないのか
試合前に必ず同じ靴ひもを結ぶ。
特定の服を身につけないと落ち着かない。
ゴールキックの瞬間、あえて目をそらす。
それらは技術でも、戦術でもありません。
それでも多くのアスリートは、「それをしないと不安になる」と語ります。
ノーサンブリア大学の研究チームは、この一見非合理に見える行動――スーパースティシャス・リチュアル(迷信的儀式)――が、スポーツの現場でどのように生まれ、どう維持され、そしてどんな心理的意味をもつのかを、30人の競技者への詳細なインタビューとフォーカスグループから探りました。
この研究が問いかけているのは、「迷信は正しいか間違っているか」ではありません。
なぜ人は、結果を左右しないとわかっている行動に、これほど強く意味を見出すのか、という問いです。
「運を操る行為」ではなく、「心を整える行為」
研究参加者の多くは、迷信的儀式を「運を良くするための行動」と表現しました。
しかし、語られていた体験を丁寧に見ていくと、実際に対象となっていたのは「運」そのものではありません。
繰り返し語られたのは、次の三つでした。
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自信を高めること
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不安や緊張を下げること
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自分が状況をコントロールしているという感覚を持つこと
たとえば、ケガが治っているにもかかわらず、同じ場所にテーピングを続ける選手がいます。
本人も「物理的な効果はない」と理解しています。
それでも、そのテープがあることで「準備が整った」「大丈夫だと思える」と感じるのです。
ここで起きているのは、身体への介入ではなく、心理状態への介入です。
研究者たちは、これを「心理的プラセボ」として捉えています。
信じているから効く。効くと感じるから、続けられる。
その循環が、競技前の心を安定させていました。
不確実な世界で、「コントロール感」を取り戻す
スポーツは、努力だけでは結果が決まらない世界です。
実力、偶然、相手、環境。
どれだけ準備しても、自分ではどうにもならない要素が残ります。
研究参加者の多くは、迷信的儀式について「コントロールできないものが多いからこそ、せめて自分で決められる行動を持ちたい」と語っています。
朝食を必ず同じ内容にする。
更衣室で服を着る順番を固定する。
トンネルを出る前に、決まった場所をタッチする。
それらは競技結果を変える行為ではありません。
しかし、「自分が準備を整えた」という感覚を生み出します。
研究では、この感覚をコントロールの錯覚と呼んでいます。
錯覚であっても、人の心には確かな作用をもたらします。
不安が下がり、集中が高まり、「やれる気がする」という感覚が生まれるのです。
迷信は「いつ」行われるのか
興味深いのは、迷信的儀式が行われるタイミングです。
研究では、次の特徴が確認されました。
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試合の「前日」ではなく、「当日」に集中している
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試合中でも、プレーが止まる短い時間に限られている
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数秒で終わる行為がほとんどである
長時間を要する行動は、ほとんど見られませんでした。
食事のように時間がかかる行為でさえ、「何を食べるか」という選択自体が儀式であり、食べる時間そのものは問題ではありません。
この短さは重要です。
迷信的儀式は、ウォームアップや練習とは異なり、競技パフォーマンスと直接関係しない、象徴的な行為だからです。
迷信はどうやって生まれるのか
研究では、迷信的儀式の生まれ方が、大きく二つに分かれることが示されました。
たまたまの成功から生まれる場合
ある行動をした試合で、たまたま良い結果が出た。
その記憶が、「あの行動のおかげかもしれない」という結びつきを生みます。
ユニフォームの番号。
アクセサリー。
靴や道具。
因果関係は偶然でも、体験としては強く記憶されます。
そして、その後も同じ行動が繰り返されます。
誰かから引き継がれる場合
もう一つは、他者からの影響です。
家族、先輩、チームメイト。
「これをやるといい」
「昔からこうしている」
こうした行動は、結果と直接結びつかなくても、長く維持される傾向がありました。
それは、その行動が「意味」や「物語」を伴っているからです。
なぜ、効かなくなってもやめられないのか
研究者たちは、ここに強い関心を寄せています。
ある選手は、「これは結果に影響しない」と理解していても、儀式を続けます。
「やらないと、何か悪いことが起きそうな気がする」
「やめる理由がない」
これは合理的判断の問題ではありません。
人の思考には、速く自動的に働く側面と、ゆっくり検証する側面があります。
迷信的儀式は、前者――直感的な思考――によって支えられやすいのです。
特に、ケガや大きな失敗と結びついた儀式は、結果が出なくても維持されやすいことが示されました。
「やらなかったら、もっと悪いことが起きるかもしれない」
その不安が、行動を手放させません。
スポーツの種類で、迷信は変わるのか
研究では、競技特性による違いも検討されています。
接触競技と非接触競技
接触競技の選手は、「ケガを避ける」ことを目的とした儀式が多く見られました。
非接触競技の選手は、「良い結果を引き寄せる」ための儀式が中心でした。
リスクの性質が、迷信の意味づけを変えていることがうかがえます。
個人競技とチーム競技
個人競技では、「すべてが自分の責任」という感覚から、儀式への依存が強まる傾向がありました。
一方、チーム競技では、「自分の行動がチームに影響する」という意識が、儀式を重く感じさせることもありました。
ただし、どちらがより迷信的か、という単純な結論は出ていません。
感じているプレッシャーの質が異なる、という点が重要でした。
この研究が示していること
この研究は、「迷信は非合理で無意味だ」と切り捨てるものではありません。
むしろ、迷信的儀式を通して、アスリートがどのように自分の心を守っているのかを描き出しています。
迷信的儀式は、
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不安を下げ
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自信を保ち
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自分でいられる感覚を取り戻す
ための、一つの心理的手段でした。
それは結果を保証するものではありません。
しかし、不確実な世界に立つ人間が、立ち続けるための「支え」にはなっているのです。
この研究は、迷信を「信じるか信じないか」という二択から解放し、
人が意味を必要とする存在であることを、静かに示しています。
(出典:Journal of Sports Sciences)

