心を「用意」しているのか、それとも「呼び出している」のか

この記事の読みどころ
  • 心の理論は事前に完璧なモデルを持つのではなく、必要なときに場で作っているという仮説が示された。
  • 人は行動から心を推測し、不足情報を埋めたり「人間のひな型」を使ったり、仲間かどうかで解釈を変えたりする。
  • 脳は省エネで働くため、速さと実用性を重視して推測する「限定合理性」が心の理論にも関与している可能性がある。

この研究は、イギリスのグラスゴー大学・心理学系研究拠点と、アメリカのノースイースタン大学・コンピュータサイエンス研究拠点の研究チームによって行われました。

私たちは日々、他人の行動を見て、その背後にある気持ちや考えを自然と推測しています。

「あの人はいま怒っているのかもしれない」
「きっとこういう意図で言ったのだろう」
「次はこう動きそうだ」

こうした能力は、心理学では**心の理論(Theory of Mind)**と呼ばれています。
他人の信念、感情、意図、目標、好み、習慣などを推測し、それをもとに行動を理解する力です。

これまでの研究では、人はある程度安定した他人の心のモデルを頭の中に作り、それを日常的に使っていると考えられてきました。

しかし今回の研究は、少し違う視点を提示します。

人は、他人の心のモデルを事前に用意しているのではなく、必要なときにその場で作っているのではないか。


人の脳は「省エネ設計」でできている

私たちの脳には限界があります。

・注意できる量には限りがある
・覚えておける情報にも限界がある
・考える時間も限られている

それでも私たちは、複雑な社会の中で比較的うまく他人と関わっています。

研究者たちは、この点に注目しました。

人は常に完璧な推論をしているのではなく、十分によい答えを、できるだけ少ない労力で出すようにしているのではないか。

この考え方は「限定合理性」と呼ばれます。
最適解ではなく、現実的に使える解を素早く選ぶという発想です。

心の理論も、この限定合理性の枠組みの中で働いている可能性があります。


この研究で行われたこと

研究チームは、イギリス在住の40名を対象にオンライン調査を行いました。

参加者には、次のような対象について考えてもらいました。

・自分の母親
・親友
・一般的な子ども
・一般的なバス運転手
・警察
・与党

そしてそれぞれについて、

・何を信じていそうか
・どんな目標を持っていそうか
・どんな意図がありそうか
・どんな習慣がありそうか
・何を好み、何を嫌いそうか
・どんな意見を持っていそうか

を自由記述で答えてもらいました。

さらに、「なぜそう思ったのか」という理由も書いてもらいました。

研究者たちは、これらの大量の文章データを質的に分析し、人がどのようなパターンで他人の心を推測しているのかを整理しました。


見えてきた四つの特徴

分析の結果、人の心の推測には、いくつかの共通した特徴があることがわかりました。


① 行動から心を逆算している

参加者はよく、

「こういう行動をしている → だからこういう考えだろう」

という推測をしていました。

例としては、

・環境活動をしている → 環境問題を大切だと信じている
・よく勉強している → 学ぶことが重要だと思っている
・同じ行動を繰り返している → 習慣になっている

といった具合です。

さらに興味深いのは、
ある心の状態から、別の心の状態を推測することも多かった点です。

たとえば、

・価値観 → 目標
・好み → 意図
・信念 → 行動予測

といった連鎖が見られました。

人は、すべてを一から考えているのではなく、すでに推測した内容を足がかりにして、次の推測を行っているようです。


② 足りない情報は「埋めて」いる

実際には、私たちは他人のことをそれほど詳しく知っているわけではありません。

それでも人は、

・少ない情報を一般化する
・その人の役割から想像する
・自分の経験を当てはめる

といった方法で、足りない部分を補っていました。

たとえば、

「バス運転手は長時間座っている → きっと歩くのが好きだろう」
「子どもは自由にしたいと思っているはず」

といった推測です。

中には、実際の証拠がないのに、想像上の情報を使って心の状態を作り上げるケースも見られました。

人は「わからない」と止まるよりも、それらしい物語を作る傾向があるようです。


③ 「人間一般」のひな型を使っている

参加者の多くは、個人差とは別に、

・人は好きなものを求める
・嫌なことは避ける
・行動の裏には価値観や動機がある

といった前提を持っていました。

研究者たちは、これを**人間のブループリント(ひな型)**のようなものと表現しています。

まず「人間とはこういうものだ」という大枠があり、そこに個人の特徴を少しずつ当てはめている可能性があります。


④ 仲間かどうかで推測が変わる

対象に対して好意を持っているかどうかでも、推測の仕方が変わっていました。

・好意的な相手 → より細かく、好意的に解釈
・否定的な相手 → 単純で厳しい解釈

また、

「自分と似ている → 他の面も似ているはず」
「自分と違う → 他の面も違うはず」

という推測も多く見られました。

これは、集団意識や先入観が、心の理論にも影響していることを示しています。


心のモデルは「その場で作られる」

これらの結果を総合すると、研究者たちは次の仮説を提案します。

人は、他人の心のモデルを常に持ち歩いているのではなく、必要になったときに、その場で組み立てている。

質問されたから考える。
必要だから考える。

つまり、心の理論は**反応的(リアクティブ)**に働いている可能性があるということです。


なぜそれでうまくいくのか

もし人が、すべての人について詳細な心のモデルを常に維持していたら、脳の負担はとても大きくなります。

しかし、

・ひな型を使う
・少数の手がかりから推測する
・足りない部分は埋める

という方法を使えば、かなり省エネで済みます。

完璧ではないけれど、日常生活を送るには十分な理解が得られる。

これが、私たちの心の理論の現実的な姿なのかもしれません。


正確さより「使えること」

この研究が示しているのは、

人の心の理論は、
「正確さ」を最優先しているわけではない、
という点です。

むしろ、

速さ
省エネ
そこそこ当たること

が重視されているように見えます。

そのため、ときに誤解や偏見が生まれることもあります。

しかし同時に、この仕組みがあるからこそ、私たちは複雑な社会の中で即座に行動できているとも言えます。


この研究が投げかける問い

もし人が、他人の心を「その場で作っている」のだとしたら、

・誤解はどこから生まれるのか
・思い込みはどう修正されるのか
・AIは人間のように他人を理解できるのか

といった問いも、違った形で見えてきます。

心の理論は、完成された装置ではなく、
状況に応じて立ち上がる、柔らかい仕組みなのかもしれません。

私たちは普段、「あの人はこういう人だ」と決めつけているようでいて、
実は毎回、即席のモデルを作り直している。

そう考えると、人間の社会理解は、想像以上に即興的で、不完全で、そして創造的な営みなのかもしれません。

(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2026.1693027

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