- ネガティブな感情は認知コントロールの三つの要素(抑制・更新・切り替え)に、それぞれ違う影響を与えることがわかった。
- 抑制は不要な反応を止めるのが遅くなることがあり、更新は古い情報を手放しにくく誤答が増え、切り替えは誤答が増え反応が速くなる傾向があった。
- 同じ人が三課題を比べるデザインで、感情の影響は要素ごとに異なり、更新と切り替えの影響には関連が見られた。
感情は思考をどう揺さぶるのか
人は感情的になると、考える力が単純に落ちるのでしょうか。それとも、思考の仕方そのものが別のモードに切り替わるのでしょうか。私たちは日常生活の中で、不安や怒り、嫌悪感といったネガティブな感情を抱えたまま、判断や選択を迫られる場面に何度も出会います。そのとき、注意力や記憶、柔軟な切り替え能力は、どのように変化しているのでしょうか。
この問いに正面から取り組んだのが、フランスの空軍士官学校エコール・ド・レール・エ・ド・レスパスに属する研究チームによる今回の研究です。本研究は、ネガティブな感情が「認知コントロール」と呼ばれる心の働きに、どのような影響を及ぼすのかを、非常に丁寧な実験設計によって検討しています。
認知コントロールとは何か
認知コントロールとは、自分の目標に沿って思考や行動を調整する能力のことです。目の前に無関係な刺激があっても注意をそらさずに課題を続けたり、古くなった情報を捨てて新しい情報に更新したり、状況が変わったら考え方やルールを切り替えたりする力が含まれます。
心理学では、認知コントロールは主に三つの要素から構成されると考えられています。一つ目は「抑制」で、自動的に出てしまう反応を止める力です。二つ目は「更新」で、作業記憶の中身を入れ替え、不要になった情報を手放す力です。三つ目は「切り替え」で、ルールや視点を柔軟に変更する力です。
この研究が目指したこと
従来の研究の多くは、抑制・更新・切り替えのいずれか一つだけを対象にしていました。また、参加者をグループに分ける方法が多く、同じ人の中で複数の能力を比較することはあまり行われてきませんでした。
今回の研究では、同じ参加者が三つの課題すべてを行う「参加者内デザイン」が採用されています。これにより、ネガティブな感情が、それぞれの認知コントロール要素にどのように異なる影響を与えるのかを、直接比較できるようになっています。
感情をどうやって操作したのか
研究では、国際情動画像システムと呼ばれる標準化された写真セットが用いられました。怪我や脅威を連想させるネガティブな画像と、感情的に中立な日常物の画像が使用され、課題そのものとは無関係な形で、各試行の直前に提示されました。
重要なのは、感情刺激が課題の一部ではない点です。あくまで偶発的に感情を喚起し、その直後の認知処理がどのように変わるかを見る設計になっています。
抑制の課題で何が起きたのか
抑制を測るために使われたのは、いわゆるゴー・ノーゴー課題です。反応してよい刺激と、反応を止めるべき刺激が混在しており、参加者は素早く正確に判断する必要があります。
結果として、ネガティブな感情の下では、反応してはいけない場面で誤って反応してしまった際の反応時間が遅くなることが示されました。これは、抑制そのものが完全に壊れるというより、不要な反応を止める過程で、感情による干渉が強まっている可能性を示しています。
更新の課題で見えた変化
更新を調べるためには、二つ前の刺激を記憶し続ける二バック課題が用いられました。この課題では、古い情報を保持しつつ、新しい情報が現れるたびに、記憶内容を更新する必要があります。
ネガティブな感情の下では、特に一致しない試行において誤答が増えることが分かりました。これは、もはや不要になった情報を手放し、新しい情報へと切り替える過程が、感情によって妨げられている可能性を示しています。
切り替えの課題が示したこと
切り替え能力を測る課題では、判断ルールが途中で変わります。参加者は、その変化を素早く察知し、新しいルールに従って反応しなければなりません。
この課題では、ネガティブな感情の下で、全体的に誤答率が高くなることが示されました。一方で反応時間はやや速くなる傾向があり、正確さを犠牲にして急いで反応する状態に近づいていた可能性が考えられます。
課題をまたいで見えてきた構造
三つの課題を比較すると、ネガティブな感情の影響は一様ではありませんでした。抑制は比較的独立した影響を受けている一方で、更新と切り替えの成績には関連が見られました。
更新課題で感情の影響を強く受けた人ほど、切り替え課題でも同様に影響を受けやすい傾向が示されました。これは、不要な情報を抑え込み、目標に沿った情報を維持するという共通の心的プロセスが、感情によって乱されている可能性を示しています。
この研究が示す意味
本研究は、ネガティブな感情が認知コントロール全体を一律に低下させるのではなく、要素ごとに異なる影響を及ぼすことを示しました。特に、情報の更新や柔軟な切り替えといった、動的で負荷の高い処理が、感情の影響を受けやすいことが浮かび上がります。
感情は、思考を単純に弱める存在ではなく、思考の配分や戦略そのものを変える力を持っています。この研究は、その静かな仕組みを、実験という形で丁寧に描き出しています。
(出典:Behavioral Sciences)

