人との距離感は、どこで決まるのか

この記事の読みどころ
  • コロナ禍で人との距離の感じ方が変わり、マスクの有無や相手の性別が距離に影響した。
  • 台湾人と東南アジア出身者には「地域そのもの」で大きな差はなく、同じキャンパスで生活する若者を対象に調べた。
  • 性別と文化の組み合わせで距離感の差が現れ、東南アジア出身者は距離の変化に対する反応が穏やかだとされる。

人との距離感は、文化でどこまで違うのか

人と向き合ったとき、どれくらいの距離が「ちょうどいい」と感じられるかは、人によって大きく異なります。近すぎると落ち着かず、遠すぎるとよそよそしく感じる。その微妙な感覚は、気分や相手との関係だけでなく、文化や社会的な状況によっても左右されることが知られています。

新型コロナウイルス感染症の流行は、この「人との距離感」に強い変化をもたらしました。マスクの着用やソーシャルディスタンスが日常化し、人と近づくこと自体がリスクとして意識されるようになったからです。こうした状況の中で、人は実際にどのように距離を感じ、どんな条件で距離を変えていたのでしょうか。

この問いに対して、台湾の明志科技大学、台北科技大学、インドネシアのアンダラス大学の研究チームは、台湾人と東南アジア出身者という二つの文化的背景をもつ若者を対象に、コロナ禍における「対人距離」の感じ方を詳しく調べました。

同じ場所にいる異なる文化背景の若者たち

研究に参加したのは、台湾人の大学生100人と、台湾の大学に留学している東南アジア出身の学生100人です。東南アジア出身者には、インドネシア、ベトナム、タイなど複数の国の学生が含まれていました。いずれも若い世代で、日常的に同じ大学キャンパスで生活していた点が、この研究の重要な特徴です。

これまでの研究では、国や地域ごとに分かれた環境で対人距離を比べるものが多く見られました。しかしこの研究では、異なる文化背景をもつ人たちが「同じ場所で生活している状況」に注目しています。これは、現代のグローバルな社会状況を反映した視点だといえます。

仮想空間で測られた「近づきたくなる限界」

実験はオンラインで行われました。参加者は画面上に表示された自分の分身となるキャラクターを操作し、相手役の人物に少しずつ近づけていきます。そして「心地よいが、そろそろ不快になり始める」と感じた地点で止め、その距離が記録されました。

相手役には男女それぞれが設定され、マスクを着けている場合と着けていない場合が用意されました。参加者は、相手の性別とマスクの有無が異なる複数の条件で、同じ判断を繰り返しました。こうして得られた距離のデータから、どの条件が距離感に影響を与えているのかが分析されました。

国や地域そのものでは、大きな差はなかった

分析の結果、まず明らかになったのは、台湾人か東南アジア出身者かという「地域そのもの」の違いだけでは、対人距離に大きな差は見られなかったという点です。全体として、どちらの集団もほぼ同程度の距離を保とうとしていました。

これは直感的には意外に感じられるかもしれません。文化が違えば、人との距離感も大きく違うと考えがちだからです。しかし研究チームは、台湾も多くの東南アジア諸国も、伝統的には身体的接触が少ない「非接触型」の文化に分類されることを踏まえ、この結果は不自然ではないと示しています。

マスクと相手の性別は、距離感を確実に変えた

一方で、誰に対して、どんな状態で向き合うかは、対人距離に明確な影響を与えていました。

まず、相手が男性か女性かという点です。台湾人、東南アジア出身者のいずれにおいても、男性の相手に対しては、女性の相手よりも距離を大きく取る傾向がありました。相手の性別は、文化を越えて共通の影響を持っていたといえます。

さらに強い影響を示したのが、マスクの着用でした。相手がマスクを着けている場合、人は着けていない場合よりも近づくことができました。マスクによって感染のリスクが下がるという認識が、主観的な安心感につながり、距離を縮める判断を後押ししていたと考えられます。

性別と文化が交差するところで見えた違い

興味深いのは、参加者自身の性別と文化背景が組み合わさったときに現れた違いです。

台湾人の参加者では、女性が男性よりも大きな対人距離を取る傾向がはっきりと見られました。これは、従来の研究で報告されてきた「女性の方が慎重に距離を取る」という傾向と一致しています。

しかし、東南アジア出身の参加者では、この男女差が明確には現れませんでした。女性がやや距離を取る傾向は見られたものの、統計的には決定的な差とは言えない水準でした。文化背景によって、性別による距離感の違いが弱まる可能性が示唆されます。

変化に対する「感度」の違い

もう一つ重要な点として、東南アジア出身の参加者は、台湾人に比べて距離感の変化に対する反応が全体的に穏やかでした。マスクがない相手に対しても、台湾人ほど距離を大きく広げない場面が見られたのです。

研究チームは、これを「距離の変化に対する感度の違い」と表現しています。距離をどう調整するかという判断そのものが、文化的背景やこれまでの生活経験によって異なる可能性があることを示しています。

同じ空間で生きるための距離感

この研究が示しているのは、人との距離感が単純に「国ごとの違い」で決まるわけではないということです。性別、相手の特徴、マスクの有無、そして文化と性別の組み合わせによって、その判断は微妙に変化します。

特に注目すべきなのは、異なる文化背景をもつ人々が同じ場所で生活する状況において、距離感のズレが必ずしも大きな対立を生むわけではない点です。共通の経験や環境が、距離感をすり合わせていく可能性も示されています。

感染症対策という文脈を超えて、この研究は、私たちが無意識に調整している「人との間合い」が、どれほど繊細で、そして柔軟なものなのかを静かに教えてくれます。距離を取ることも、近づくことも、その背景には理由があり、状況に応じた判断が積み重なっているのです。

(出典:Behavioral Sciences


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