「良いこと」「悪いこと」はどう育つのか

この記事の読みどころ
  • 就学前の子どもと母親の回答は全体で56%ほど一致するが、問題ごとには一致が弱い。
  • 母親は二重効果や接触の原則など大人の道徳ルールを使う一方、子どもは理由つきのルールをまだ使えず、助けたいという直感が強い。
  • 道徳は生まれつき完成しておらず、環境や経験で少しずつ形になり、年齢が上がっても原則がはっきり出るとは限らない。

こどもは、いつ「してはいけない理由」を持つようになるのか

――就学前の子どもと母親のモラル直感を比べた研究

私たちは日常の中で、無意識のうちに「それはやってはいけない」「それなら仕方がない」と判断しています。
誰かを助けるために別の誰かが傷ついてしまうとき、その行為は許されるのか。
あるいは、何もしなかった結果として起きた被害と、自分が手を出して起きた被害は、同じ重さなのか。

こうした問いに対して、人は瞬間的に答えを出すことがあります。
この「瞬間的な道徳判断」は、モラル直感と呼ばれています。

今回紹介する研究は、3~6歳の就学前の子どもとその母親を対象に、
モラル直感がどの程度似ているのか、そして子どもは大人と同じような「道徳ルール」を使って判断しているのかを調べたものです。


生まれつき備わっていると考えられている道徳ルール

近年の心理学・認知科学では、人間には生得的な道徳の文法があるという考え方が提案されています。
これを「普遍的モラル・グラマー(Universal Moral Grammar)」と呼びます。

その中核となる代表的なルールが、次の3つです。

  • 作為と不作為の原則
    何もしなかった結果の被害よりも、自分が行動して生じた被害のほうが重いと感じやすい。

  • 接触の原則
    直接体に触れて危害を加えるほうが、触れずに同じ結果が起きるよりも悪いと感じやすい。

  • 二重効果の原則
    目的として傷つけるのは悪いが、別の目的を達成する途中で副次的に生じる被害は、比較的許されやすい。

大人の多くは、こうしたルールに沿った判断をすることが、先行研究で示されています。
しかし、幼い子どもが同じルールを使っているかどうかは、まだ十分に分かっていません。


研究を行った組織と目的

この研究は、**メキシコ国立小児病院(Hospital Infantil de México Federico Gómez)**の研究部門および倫理・根拠に基づく医療研究ユニットのチームによって実施されました。

目的は、

  • 就学前の子どもと母親の回答がどれくらい一致するか

  • 子どもが上記の道徳原則を用いているか

を明らかにすることです。


参加者と方法

対象となったのは、

  • 3~6歳の子どもと母親のペア:75組

いずれも外来通院中の家族でした。

研究では、絵と短い文章で説明される5つの道徳ジレンマが提示されました。
いずれも「ボールが転がってきて子どもがケガをするかもしれない」という設定で、死亡は起こらないよう配慮されています。

例として、

  • 1人を犠牲にすれば5人を助けられる場面

  • 誰かを押すことで被害を防げる場面

  • レバー操作だけで同じ結果になる場面

などが含まれます。

それぞれについて、

行動するか / しないか

の二択で答えてもらいました。

母親と子どもは別々の場所で回答し、互いの答えは分からないようにしています。


まず分かったこと:全体としては少し似ている

5つのジレンマすべてをまとめて見ると、

  • 母親と子どもの回答が一致した割合:56%

これは、偶然に一致する確率よりも高い値でした。

つまり、

親子の回答は、全体としてはある程度似ている

と言えます。


しかし、1つ1つの問題を見ると一致は弱い

各ジレンマを個別に分析すると、

  • 統計的に有意な一致はほとんど見られない

という結果になりました。

見た目上は似ている場面もありますが、

「この問題では母親と子どもが明確に同じ考えをしている」

とは言えない状況でした。


母親は道徳原則を使っている

母親の回答を詳しく分析すると、

  • 二重効果の原則

  • 接触の原則

両方が当てはまることが確認されました。

つまり母親は、

  • 直接押すより、間接的な操作を好む

  • 目的として傷つける行為を避ける

といった大人に典型的なパターンで判断していました。


子どもは道徳原則を使っていなかった

一方、子どもでは、

  • 二重効果の原則:見られない

  • 接触の原則:見られない

という結果でした。

子どもたちは、

大人のような「理由付きのルール」に基づいて判断しているわけではない

可能性が示されました。


子どもがはっきり示した傾向

唯一、明確だったのは次の点です。

  • 5人を助けるために1人が傷つく場面では、多くの子どもが行動する

つまり、

「たくさん助けたい」という直感は比較的早くから存在する

と考えられます。

しかし、

  • 押すか

  • レバーを引くか

  • 何もしないか

といった違いについての細かな区別は、まだ形成途中のようでした。


年齢による変化はほとんど見られない

3~6歳の範囲では、

  • 年齢が上がるほど道徳原則を使う
    といった傾向はほとんどありませんでした。

ごく一部で、

  • 年長児ほど「高価なおもちゃを犠牲にするのを避ける」

という関連が見られた程度です。


男の子と女の子の違い

大きな性差は見られませんでしたが、

  • 男の子は「行動する」と答える傾向がやや強い

  • 女の子は「押すタイプの行為」を避けやすい

という軽い傾向がありました。


この研究が示していること

この研究が示唆するのは、次のような点です。

  • 子どもは早い段階から「助けたい」という気持ちは持っている

  • しかし、大人のような
    「意図」「手段」「接触」「副作用」
    を区別する構造化された道徳ルールは、まだ形成されていない

言い換えると、

道徳心は最初から完成形で存在するのではなく、
直感的な感情を土台に、少しずつ組み立てられていく

という姿が浮かび上がります。


普遍的モラル・グラマーへの示唆

もし道徳原則が完全に生まれつき備わっているなら、
就学前の子どもでもはっきり確認できるはずです。

しかし実際には、

  • 母親:原則あり

  • 子ども:原則なし

という結果でした。

これは、

道徳の基盤は生得的要素を含みつつも、
認知発達や経験を通して徐々に形になる

という見方を支持します。


家庭環境や文化の影響の可能性

本研究の子どもたちは、慢性疾患で通院中の子どもが多い集団でした。
研究者は、

  • 健康状態

  • 社会経済状況

  • 文化的背景

が判断に影響している可能性も指摘しています。

つまり、

道徳の発達は「脳の成長」だけでなく、
生きている環境とも深く関わる

と考えられます。


限界と今後の課題

  • サンプル数が比較的小さい

  • 縦断研究(成長を追う研究)ではない

  • なぜそう答えたのかという「理由」は調べていない

といった制約があります。

今後は、

  • 年齢が上がる過程でいつ原則が現れるのか

  • 家庭での会話やしつけがどう関係するのか

を調べる研究が求められます。


余白として残る問い

この研究は、
「子どもはまだ道徳が未熟である」
と単純に言っているわけではありません。

むしろ、

子どもはすでに「誰かを助けたい」という核を持っている
そこに、少しずつ理由づけが重なっていく

という姿を示しています。

私たち大人が日常で行っている説明や対話は、
その「理由づけ」を静かに育てているのかもしれません。

道徳は、教え込まれる完成品ではなく、
関係の中で育つプロセスなのかもしれません。

(出典:PLOS One DOI: 10.1371/journal.pone.0337474

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