- 実際の街を歩きながら心拍・皮膚反応・GPS・自己評価を同時に記録し、感情と身体の反応を場所と結びつけて調べた。
- 覚醒と気分は必ずしも一対一で結びつかず、高い覚醒でもポジティブやネガティブが混ざる組み合わせがある。
- 緑が多く歩きやすい場所はポジティブになりやすく、交通量が多く狭い場所はネガティブになりやすい、という地域差が見られた。
街を歩いているとき、私たちは知らないうちにさまざまな感情を抱いています。
落ち着く道。
なぜか緊張する交差点。
気分が少し明るくなる広場。
こうした感覚はとても身近ですが、これまでの都市計画や建築の研究では、必ずしも十分に扱われてきませんでした。建物の高さ、人口密度、交通量、土地利用といった「目に見える指標」は数多くありますが、「その場で人がどう感じているか」という体験そのものは、測りにくい対象だったからです。
今回紹介する研究は、人が街を歩いている“まさにその瞬間”の感情体験を、心理的な評価と身体の反応の両面から捉えようとした試みです。
研究を行ったのは、ポリテクニコ・ディ・ミラノの電子・情報・バイオ工学分野および建築・都市研究分野の研究者グループと、ミラノ大学の文化遺産・環境分野の研究者たちです。
研究者たちは次のような問いを立てました。
街の環境は、人の身体反応を通して、感情体験にどのような影響を与えているのか。
そして、
その影響を、実際の街なかで定量的に測ることはできるのか。
実験の舞台は「実際の街」
この研究の大きな特徴は、実験室ではなく、実際の都市空間を舞台にしている点です。
参加者は、ミラノ市内の決められたルートを徒歩で移動します。
その間に、以下のようなデータが同時に収集されました。
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心拍数
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皮膚電気反応(発汗量の変化に関連する指標)
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位置情報(GPS)
-
そのときの気分に関する自己評価
つまり、どこを歩いているときに、体がどう反応し、本人はどう感じているのかが、時間と場所を対応させて記録されます。
これにより、街の中の特定の場所と、感情や身体反応との結びつきを調べることが可能になります。
心拍と皮膚反応が意味するもの
研究で使われた生理指標は、主に次の2つです。
心拍数
心拍数は、緊張や興奮、運動量などと関係します。
単に「速い=悪い」というわけではありませんが、心理的な負荷や覚醒の高まりを反映しやすい指標です。
皮膚電気反応
皮膚電気反応は、汗腺の活動によって変化します。
これは自律神経系の活動と強く関係しており、**感情的な覚醒(ドキッとする、緊張する、驚くなど)**に敏感です。
研究者たちは、これらの指標を組み合わせることで、人がどれくらい覚醒した状態にあるのかを推定しました。
気分はどうやって尋ねたのか
身体反応だけでは、その人が「良い気分」なのか「悪い気分」なのかは分かりません。
そこで参加者には、歩行後に自分の体験を振り返ってもらい、感情の状態を評価してもらいました。
評価の中心となったのは、
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快・不快
-
落ち着き・緊張
-
ポジティブ・ネガティブ
といった次元です。
これにより、
身体がどれくらい反応していたか
と
本人がどう感じていたか
を対応づけて分析できるようになります。
「覚醒」と「感情の向き」は別物だった
分析の結果、研究者たちは重要な点を示しています。
心拍や皮膚反応などの覚醒レベルは、
必ずしも「良い気分」や「悪い気分」と一対一で対応していませんでした。
たとえば、
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覚醒が高い+ポジティブ
-
覚醒が高い+ネガティブ
-
覚醒が低い+ポジティブ
-
覚醒が低い+ネガティブ
といった複数の組み合わせが存在します。
つまり、体が活発に反応しているからといって、必ずしも嫌な体験とは限らないのです。
この結果は、
「生理反応=ストレス」という単純な理解が成り立たないことを示しています。
場所ごとに異なる「感情の地図」
位置情報と感情・生理データを組み合わせることで、研究者たちは街の中の感情分布を可視化しました。
すると、ルートの中でも、
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ポジティブな評価が集まりやすい場所
-
ネガティブな評価が増える場所
-
覚醒レベルが高まりやすい場所
が存在することが分かりました。
同じ街の中でも、場所によって体験の質が異なることが、データとして示されたのです。
何が人の感じ方を変えているのか
研究では、街の環境要因として、次のような特徴に注目しています。
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緑の量
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建物の密度
-
交通の多さ
-
空間の開放感
-
歩行者空間の有無
これらの要因と感情データを照らし合わせると、緑が多く、歩きやすい場所ではポジティブな評価が増える傾向が見られました。
一方で、交通量が多く、空間が狭い場所では、ネガティブな評価や覚醒の高まりが生じやすい傾向も示されました。
都市計画への新しいヒント
この研究が示しているのは、
都市は「機能的に便利かどうか」だけでなく、「どう感じられるか」という観点でも設計できる
という可能性です。
これまでの都市設計は、
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移動効率
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土地利用
-
経済性
が中心でした。
そこに、
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安心できるか
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心地よいか
-
落ち着けるか
といった感情の質を組み込む道が見えてきます。
センサーは「心を代わりに語る」のではない
研究者たちは、重要な注意点も述べています。
生理センサーは、
人の気持ちをそのまま読み取る装置ではありません。
あくまで、
「体がどれくらい反応しているか」を示す手がかりにすぎません。
最終的にその体験が良かったのか悪かったのかを決めるのは、本人の主観的な評価です。
だからこそ、この研究では、身体データと自己報告を組み合わせています。
この研究が静かに投げかける問い
この研究は、次のような問いを私たちに投げかけているように感じられます。
街は、ただの「器」なのか。
それとも、私たちの感情を日々少しずつ形づくる存在なのか。
もし後者だとすれば、
都市をどう設計するかは、
私たちがどんな気分で生きていく社会を望むのか、
という問いとつながっています。
便利な街。
稼げる街。
だけでなく、
安心できる街。
疲れにくい街。
少しやさしくなれる街。
この研究は、そんな未来を考えるための、静かな手がかりを与えてくれています。
(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1690851)

