「安全のため」は、誰のためなのか

この記事の読みどころ
  • 学校で子どもを拘束したり隔離したりする「安全」の使われ方を、評価する人の視点から調べた研究です。
  • 障害や人種の組み合わせで、厳しい対応が正当化されやすい傾向があり、無意識の差別や能力主義が働くと指摘します。
  • 問題の解決は二択ではなく、環境づくりや落ち着くサインを理解する方が大切だと提案しています。

「安全のため」という言葉は、誰を守っているのか

学校で、子どもが強い不安や混乱に陥ったとき、大人はどのように対応するべきでしょうか。
落ち着くまでそっと待つ。
静かな場所へ一緒に移動する。
安心できる言葉をかける。

そうした選択肢がある一方で、現実の米国の学校現場では、子どもの体を押さえつけたり、ひとりの部屋に閉じ込めたりする対応が行われることがあります。これらは「身体拘束」や「隔離」と呼ばれ、表向きには「安全を守るための緊急対応」と説明されます。

しかし、この対応は本当にすべての子どもに平等に使われているのでしょうか。
そして、人々はこのような対応を、どのように評価しているのでしょうか。

アメリカのカリフォルニア・ルーセラン大学の研究チームは、こうした問いに向き合うため、一般の人々を対象にした実験研究を行いました。


学校で起きる「身体拘束」と「隔離」とは何か

この研究では、米国の学校現場で行われる対応として、次の二つを対象としています。日本の学校制度とは前提が異なる点を踏まえつつ、研究は米国で実際に用いられている実践をもとに検討されています。

身体拘束とは、教職員などが子どもの腕や脚、胴体、頭部などを押さえ、自由に動けない状態にすることです。
隔離とは、子どもをひとりで部屋や区画に入れ、外に出られないようにすることです。

いずれも米国では、子ども本人や周囲の人に差し迫った危険がある場合に限り、「緊急時の安全対応」として位置づけられています。しかし、その運用のされ方には長年、問題があると指摘されてきました。


この研究が注目した「評価する側」の視点

多くの研究は、「どの子どもが拘束されたか」「どれくらいの頻度で起きているか」を調べてきました。
一方、この研究は、少し違う角度から問題を見ています。

それは、「その出来事を聞いた人が、どう判断するのか」という視点です。

研究チームは、参加者に短いストーリーを読んでもらいました。
そこには、学校で子どもが危険な行動を取り、職員が約15分間、手錠のような器具で子どもを拘束した、という出来事が描かれています。

そして、ストーリーに登場する子どもの

・人種
・障害があるかどうか

だけを変え、参加者に評価してもらいました。

評価内容は主に次の三点です。

その対応はどれくらい「正当」だと思うか。
どれくらい「必要」だと思うか。
どれくらい「問題がある」と感じるか。


同じ出来事でも、評価は変わる

結果は明確でした。

子どもが障害のある設定の場合、同じ拘束行為でも、

・より正当だと評価され
・より必要だと感じられ
・問題が少ないと判断されやすい

傾向がありました。

つまり、子どもが障害をもっていると想定されるだけで、厳しい対応が「仕方のないもの」と見なされやすくなるのです。


人種と障害が重なるとき

さらに研究では、人種の違いも組み合わせて分析しました。

その結果、障害があり、かつマイノリティ人種に属する子どもの場合、拘束がより受け入れられやすい傾向が見られました。

研究者たちは、これを「個人の偏見」というよりも、社会に広く染み込んだ前提の問題だと捉えています。

「問題行動を起こすのはこのタイプの子どもだ」
「この子には強い対応が必要だ」

こうした無意識のイメージが、人々の判断を形づくっている可能性がある、ということです。


「差別的な意図」がなくても起こること

この研究で重要なのは、多くの参加者が「差別しよう」と思って評価しているわけではない点です。

それでも結果として、

障害のある子どもほど、
マイノリティ人種の子どもほど、
厳しい対応が正当化されやすい。

この構図が生まれています。

研究者たちは、これを人種差別と能力主義(健常であることを標準とする考え方)が絡み合った構造として説明します。


「安全」という言葉の裏側

学校で身体拘束や隔離が使われるとき、必ずと言っていいほど「安全のため」という言葉が添えられます。

しかし、この研究は、その「安全」が誰の視点から定義されているのかを問い直します。

子ども本人の安心感や尊厳は考慮されているのか。
それとも、大人側の管理のしやすさが優先されているのか。

「安全」という言葉が、無意識のうちに、厳しい対応を正当化する盾として使われている可能性があるのです。


問題は「特定の子ども」ではなく、制度の側にある

研究者たちは、身体拘束や隔離が多く使われる背景には、子ども側の「問題」よりも、学校制度や支援体制の不足があると指摘します。

十分な人員配置がない。
落ち着けるスペースがない。
職員が感情調整の支援を学ぶ機会が少ない。

こうした条件の中で、強い手段に頼らざるを得ない状況が生まれている、という見方です。


何を変えていく必要があるのか

この研究は、「拘束を使うか、使わないか」という二択を提示しているわけではありません。

代わりに、

・子どもの行動を「危険な問題」として即座に処理するのではなく
・不安や圧倒感のサインとして理解する
・落ち着くための環境調整や関係づくりを優先する

という方向性を示唆しています。


おわりに

同じ出来事を見ても、
「この子なら仕方ない」と感じる場合と、
「それはやりすぎだ」と感じる場合がある。

その差は、子ども自身の行動だけではなく、私たちの側がもっている無意識の前提から生まれているのかもしれません。

「安全のため」という言葉が出てきたとき、
それは誰の安全を指しているのか。
ほかに選べる方法はなかったのか。

この研究は、私たちにそう問いかけています。

(出典:Frontiers in Psychology DOI: 10.3389/fpsyg.2025.1646644

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