経験を重ねると、トラウマは軽くなるのか?

この記事の読みどころ
  • 他人のトラウマを見聞きし続けるレスキュー隊員には、セカンダリー・トラウマティック・ストレスと心理的苦痛が関係している。
  • 若いほどこの反応が強く、年齢が上がると弱くなる傾向がある。
  • 長時間勤務や訓練の長さ、経験年数が影響し、訓練が長いほど心の負担が少なくなる場合がある。

誰かのトラウマに触れ続ける仕事は、人の心に何を残すのか

事故現場や災害、暴力や突然の死。
レスキューの現場に立つ人々は、そうした出来事の「最前線」にいます。ただし彼ら自身が常に被害者であるとは限りません。多くの場合、彼らは他人のトラウマを目撃し、受け止め、処理する立場にあります。

このとき生じる心の反応は、直接トラウマを体験した場合とは少し違ったかたちをとります。
それが「セカンダリー・トラウマティック・ストレス(Secondary Traumatic Stress)」と呼ばれる状態です。

本稿で扱う研究は、パキスタン・パンジャブ州で働くレスキュー隊員を対象に、
この二次的トラウマ反応と、より広い意味での心理的苦痛が、どのように結びついているのかを調べています。


トラウマは「体験した人」だけのものではない

セカンダリー・トラウマティック・ストレスは、PTSDと似た症状を示します。
フラッシュバック、感情の麻痺、過覚醒といった反応が現れますが、その原因は自分の体験ではなく、他人の体験に触れ続けることにあります。

レスキュー隊員は、負傷者や遺族、極限状態に置かれた人々と日常的に関わります。
その関係性のなかで、トラウマは「語られたもの」「見せられたもの」として、少しずつ心に蓄積していきます。

研究では、このセカンダリー・トラウマと、抑うつ感や不安、社会的機能の低下などを含む「心理的苦痛」との関係が調べられました。


セカンダリー・トラウマと心理的苦痛は、強く結びついている

分析の結果、セカンダリー・トラウマティック・ストレスの得点が高い人ほど、心理的苦痛も強い傾向があることが示されました。
両者のあいだには、はっきりとした正の相関が確認されています。

これは、「トラウマ的な反応」と「日常的な心のつらさ」が、別々の問題ではなく、同じ流れの中で生じている可能性を示しています。

他人の苦しみに触れ続けることは、特定の症状だけでなく、心全体の調子に影響を及ぼす。
そのことが、数値としても確認された形です。


年齢が上がると、トラウマ反応は弱まる傾向がある

興味深い結果のひとつは、年齢との関係です。
若いレスキュー隊員ほど、セカンダリー・トラウマと心理的苦痛のスコアが高く、年齢が上がるにつれて低くなる傾向が見られました。

これは単純に「若いから弱い」という話ではありません。
経験の少なさ、対処の引き出しの少なさ、あるいは感情への距離の取り方がまだ定まっていないことなど、さまざまな要因が重なっている可能性があります。

一方で、長く働いている人ほど反応が穏やかになるという点は、「慣れ」や「適応」という側面も示唆します。


長時間労働は、セカンダリー・トラウマを強める

勤務時間の長さも、重要な要因でした。
1日の勤務時間が長いレスキュー隊員ほど、セカンダリー・トラウマの得点が高くなる傾向が確認されています。

トラウマへの接触回数が増えるだけでなく、休息や回復の時間が削られることが、心の処理能力を圧迫している可能性があります。
ここでは、「どんな現場を経験したか」だけでなく、「どれくらいの時間、緊張状態に置かれているか」が影響していることが示されています。


経験年数が長いほど、トラウマ反応は小さくなる

職務経験の長さについては、比較的はっきりした結果が出ています。
経験年数が長いレスキュー隊員ほど、セカンダリー・トラウマの水準は低くなっていました。

これは、トラウマに鈍感になったというよりも、
「どう距離を取るか」「どう処理するか」という内的なスキルが蓄積されている可能性を示しています。

ただし、表面上の数値が低いからといって、負担が消えているとは限りません。
見えにくいかたちで心に残っている場合もあり得ることは、慎重に考える必要があります。


トレーニングは、心を守る役割を果たしている

トレーニング期間の長さも、重要な違いを生んでいました。
より長く、体系的な訓練を受けたレスキュー隊員ほど、セカンダリー・トラウマや心理的苦痛が少ない傾向が見られたのです。

これは、技術的な訓練だけでなく、
仕事の意味づけ、心構え、対処の仕方を学ぶことが、心理的な緩衝材になっている可能性を示しています。

トラウマを完全に避けることはできなくても、
備えがあるかどうかで、その影響の受け方は変わるということが、静かに示されています。


トラウマへの「長期的な接触」が、必ずしも悪化を意味しない場合

最も考えさせられる結果は、トラウマへの曝露期間との関係です。
短期間の曝露よりも、より長い期間トラウマ的な現場に関わっている人のほうが、セカンダリー・トラウマの得点が低い傾向が見られました。

これは直感に反する結果です。
しかし研究では、長期的な曝露が「慣れ」や「心理的適応」を生む可能性があることが示唆されています。

ただし、これは決して「長くさらされれば大丈夫」という意味ではありません。
どのような条件で適応が起こり、どのような場合に蓄積が破綻するのかは、今後の検討が必要とされています。


心の問題は、個人の弱さではなく、構造の問題でもある

この研究全体が示しているのは、
セカンダリー・トラウマや心理的苦痛が、個人の性格や根性の問題ではないという点です。

年齢、勤務時間、経験、訓練、曝露のしかた。
それらの組み合わせによって、心の負担のかかり方は大きく変わります。

レスキューという仕事が社会に不可欠であるなら、
その仕事が人の心に与える影響も、同じように正面から扱われる必要があります。

誰かを助ける仕事は、ときに静かに、助ける側の心を削っていく。
この研究は、その事実を感情的にならず、しかし確かなデータとして示しています。

(出典:Behavioral Sciences


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