- アファンタジアの人は頭の中に映像が浮かばないと感じるが、回転課題などは普通の人と同じように解けることがある。
- 「非視覚的戦略派」と「視覚イメージはあるが無意識」とする二つの説明がある。
- 見え方と確信度を分けて見ると、無意識の情報は必ずしも自信につながらず、彼らもある程度自分の答えを自覚している。
見えないはずのイメージは、本当に無意識なのか
私たちはふだん、「頭の中で思い浮かべる」という行為を、あまり深く考えずに行っています。風景、顔、文字、図形。目を閉じても、ぼんやりと何かが浮かぶ。その感覚は、多くの人にとってごく自然なものです。
しかし、その「当たり前」が当てはまらない人たちがいます。意図的に視覚的なイメージを思い浮かべることができないと感じている人たちです。この特性はアファンタジアと呼ばれ、近年、心理学、神経科学、哲学の分野で注目を集めています。
アファンタジアのある人は、自分の内的経験について「頭の中が真っ暗」「映像は一切浮かばない」と報告します。ところが、研究を進めると、ひとつの大きな謎が浮かび上がってきます。視覚イメージが必要だと考えられてきた課題を、彼らが問題なくこなしているのです。
イメージがなくても、なぜ課題が解けるのか
アファンタジアの研究では、心的回転課題がよく使われます。図形を頭の中で回転させて、向きの違いを判断する課題です。多くの人は、図形を「見て」回しているような感覚を持ちます。
ところが、アファンタジアのある人も、この課題で健常者とよく似た成績を示します。回転角度が大きくなるほど反応時間が長くなるという、典型的なパターンも確認されています。脳活動を調べる研究でも、心的回転に特徴的な神経指標が観察されています。
この結果をどう理解すればよいのでしょうか。ここで、研究者たちは大きく二つの立場に分かれてきました。
一つは「非視覚的戦略」を使っているという考え方です。言葉によるラベル付けや、位置関係だけを扱う空間的な処理によって、イメージを使わずに課題を解いている、という説明です。
もう一つは、「視覚イメージは使われているが、それは無意識だ」という考え方です。本人は見えていないと感じているものの、実際には無意識の視覚イメージが課題処理を支えている、という解釈です。
意識か無意識かをどう見分けるのか
この論文が正面から取り組むのは、まさにこの点です。アファンタジアのある人が課題に使っている表象は、本当に無意識なのでしょうか。それとも、本人の自覚とは異なる形で、意識的に経験されているのでしょうか。
ここで鍵になるのが、意識研究で使われてきた二つの主観的指標です。一つは「見えの明瞭さ」を問う指標、もう一つは「確信度」を問う指標です。
見えの明瞭さを測る方法では、刺激やイメージがどれくらいはっきり見えたかを尋ねます。アファンタジア研究でよく用いられる視覚イメージ鮮明度質問紙も、この系統に属します。
一方、確信度の指標では、参加者はまず課題に答え、その後で「自分の答えが正しいと思う度合い」を評価します。この方法は、課題に本当に役立った情報が、どの程度意識的にアクセス可能だったかを捉えやすいと考えられています。
無意識の情報は、確信を高めない
意識研究では、興味深い知見が積み重なっています。無意識に処理された情報は、課題の正答率を高めることはあっても、「自分は正しい」という確信を高めないことが多いのです。
つまり、正解していても、自信は持てない。この特徴は、無意識処理の重要な手がかりとされています。逆に言えば、正答と確信度がきれいに対応している場合、その背後には意識的な表象がある可能性が高い、という考え方です。
アファンタジアの人は、自分の正しさをわかっている
論文では、確信度を測定した数少ないアファンタジア研究が丁寧に検討されています。その結果、共通して見えてくるのは、アファンタジアのある人が高いメタ認知的感度を示している、という点です。
メタ認知的感度とは、「正しいときには自信が高く、間違ったときには自信が低い」という対応関係がどれだけしっかりしているかを表します。
視覚ワーキングメモリ課題や記憶課題において、アファンタジアのある人は、健常者と同程度に、この対応関係を示していました。課題が簡単なときには自信が高く、難しくなると自信が下がる。そのパターンは、他の参加者と変わりません。
自信が低めに見える理由
一部の研究では、アファンタジアのある人が「非常に自信がある」と答える割合が少ないことも報告されています。しかし、注意深く見ると、彼らが「まったく自信がない」と答えているわけではありません。
多くの場合、中間的な確信度を選ぶ傾向が強いのです。この特徴は、イメージが無意識であることよりも、別の要因で説明できる可能性があります。
「見えない=無意識」とは限らない
この論文が示しているのは、ひとつの慎重な結論です。アファンタジアのある人が使っている視覚的表象は、鮮明で写真的なイメージではないかもしれません。しかし、それを理由に「無意識だ」と断定するのは早計だ、ということです。
意識的な経験には、強さや明瞭さの幅があります。はっきりとした映像だけが意識なのではなく、抽象的で図式的な形でも、課題に即した意識的経験は成立しうる。
これから何を問い直すべきか
アファンタジアは、「心の中に映像があるかないか」という単純な二分法では捉えきれない現象です。この研究は、意識とは何か、経験とはどのように成り立つのかを、私たちに静かに問い返しています。
(出典:Neuropsychologia DOI: 10.1016/j.neuropsychologia.2025.109331)

