- 時間が経つと思い出せる数は減るが、思い出した内容そのものは比較的残ることがある。
- 「なぜ覚えたのか」という正当化があると、記憶は正しく再現される可能性が高くなる。
- 正当化の内容は時間が経ってもほぼ変わらず、記憶の忘れ方は“思い出せるかどうか”が鍵になると示された。
なぜ私たちは「思い出せた理由」を語るのか
何かを思い出したとき、私たちはしばしば、
「なぜそれを覚えていると思うのか」
を同時に語ります。
たとえば、「あの日は寒かったから覚えている」「そのとき、こんなことを考えていたから確かだ」といった言葉です。
単に出来事を思い出すだけでなく、その記憶が本物だと感じる根拠を、自分自身に向けて説明しているとも言えます。
この論文が注目したのは、そうした**記憶の正当化(メモリー・ジャスティフィケーション)**が、時間が経ってもなお、記憶の正確さを示す手がかりとして機能し続けるのか、という点でした。
記憶は時間とともに薄れていきます。
では、「なぜ覚えていると思うのか」という説明も、同じように崩れていくのでしょうか。
記憶は想像と区別しにくい
私たちは、直接体験していないことも、他人の話や想像によって「知っている」ように感じることがあります。
その一方で、人は出来事を誤って思い出すこともあります。
心理学では、本当に起きた出来事の記憶と、想像や誤りによる記憶は、主観的にはとてもよく似ていることが知られています。
それでも多くの場合、両者には違いがあります。
本当に体験した出来事を思い出すとき、人はしばしば、
・その場の雰囲気
・時間や場所
・自分の内面の独り言
といった文脈的な情報を伴って思い出します。
こうした文脈の再現は、「自分が実際に体験した」という感覚を支える役割を持つと考えられています。
記憶の「正当化」は、記憶を守る働きかもしれない
論文の著者たちは、人が自分の記憶について理由を述べる行為を、
記憶の信頼性を確かめるための仕組みとして捉えています。
「なぜそう思い出したのか」を説明できること自体が、
その記憶が実体験に基づいている可能性を高める、という考え方です。
過去の研究では、記憶について語られる言葉の特徴を分析することで、
正しい記憶と誤った記憶をある程度見分けられることが示されてきました。
しかし、ここで重要な問いが残ります。
時間が経ったあとでも、その正当化は信頼できるのか。
時間が経つと、何が失われるのか
一般に、時間が経つほど思い出せる情報は減ります。
これは日常感覚とも一致します。
ただし、すべてが同じように失われるとは限りません。
ある研究では、「思い出せる数は減っても、思い出せた内容そのものは鮮明なまま」という可能性も示されています。
この論文は、次の問いを立てました。
・記憶の正当化は、時間とともに少しずつ曖昧になるのか
・それとも、思い出せたときには、内容はほぼ変わらないのか
実験の方法
研究は、18〜35歳の英語話者421人を対象に行われました。
参加者は、複数の単語リストを覚え、
・短い遅延(約1.5分)
・長い遅延(1日)
のいずれか、または両方を経たあとで、自由再生テストを行いました。
単語を思い出したあと、参加者は一語ずつ、
「なぜその単語が出てきたと思うのか」
を文章で説明しました。
この説明が、記憶の正当化です。
研究者は、
・正しく思い出せたかどうか
・正当化があるかどうか
・正当化の中にどれくらい具体的なエピソード情報が含まれているか
・使われている言葉の特徴
などを詳細に分析しました。
時間が経つと、思い出せる数は減った
まず確認されたのは、よく知られた結果です。
1日後に思い出せた単語の数は、1.5分後よりも大きく減っていました。
時間が経つほど、記憶にアクセスできる量は減る、という点は明確でした。
正当化がある記憶は、正確である可能性が高い
重要なのはここからです。
思い出した単語のうち、
「なぜ覚えていると思うか」を説明できたものは、
説明できなかったものよりも、正しく再生されている割合が高いことが示されました。
つまり、正当化が伴う記憶は、客観的にも正確である可能性が高かったのです。
その関係は、時間が経っても変わらなかった
さらに注目すべき点は、
正当化が記憶の正確さを示すという関係が、時間によって弱まらなかったことです。
短い遅延でも、長い遅延でも、
正当化がある記憶は、同じように正確さと結びついていました。
時間が経っても、「理由を語れる記憶」は、なお信頼できる指標であり続けていたのです。
正当化の中身は、驚くほど変わらなかった
この研究の中心的な発見は、ここにあります。
正しく思い出された単語について書かれた正当化の文章を分析すると、
含まれるエピソード的な情報の量は、短い遅延と長い遅延でほとんど変わりませんでした。
時間が経ったからといって、
・細部が少しずつ削られていく
・内容が薄くなる
ということは、確認されなかったのです。
思い出せたときには、正当化の質は保たれていました。
「少しずつ忘れる」のではなく、「思い出せるかどうか」
この結果は、記憶の忘却が
「徐々にぼやけていく」
というよりも、
「思い出せるか、思い出せないか」
という形で起きている可能性を示唆します。
思い出せなかった記憶については、正当化そのものが現れません。
一方、思い出せた記憶については、その内容は比較的そのまま残っている。
このような「オール・オア・ナッシング型」の忘却像が、この研究では支持されました。
言葉づかいには、微妙な変化もあった
ただし、すべてが完全に同じだったわけではありません。
長い遅延のあとに書かれた正当化では、
・「たぶん」「もし」「何か」といった、ためらいを示す表現
がやや増えていました。
また、単語レベルで見ると、具体性の低下も一部で見られました。
ただし、文章全体の内容や構成が大きく変わったわけではなく、
使われる語彙の傾向も全体としては非常に似ていました。
自信は下がるが、正当化は残る
参加者自身の「自信」は、時間が経つほど低下していました。
それでも、正当化の中に含まれる具体的な情報量は保たれていました。
数値で示された自信よりも、
どのような言葉で、どんな理由を語っているか
のほうが、記憶の正確さを安定して反映していたのです。
記憶を「疑う力」としての正当化
この研究は、記憶の正当化を、単なる後付けの説明としてではなく、
自分自身の記憶を吟味するための仕組みとして捉えています。
人は他人の話を疑うだけでなく、
自分の記憶に対しても、「本当にそうだったのか」と問い直します。
そのときに使われるのが、
「なぜそう思い出したのか」という言葉なのかもしれません。
結論として示されたこと
この論文が示したのは、次の点です。
・時間が経つと、思い出せる量は減る
・しかし、思い出せた記憶の正当化の内容は、ほぼ保たれる
・正当化がある記憶は、時間が経っても正確である可能性が高い
記憶は弱くなる一方ではありません。
アクセスできたとき、その中身は思った以上にしっかり残っている。
そのことを、この研究は示しています。
(出典:communications psychology DOI: 10.1038/s44271-025-00378-4)

